２００４年１２月
この秋、奈良の正倉院展に行ってきました。ここ数年、毎年行っているのですが、今年の目玉の一つに楓蘇芳染螺鈿槽琵琶（かえですおうぞめらでんそうのびわ）がありました。表の絵画もさることながら、裏面の螺鈿の装飾の美しさに見とれてしまいました。もうひとつ興味を引かれたのは螺鈿槽箜篌（らでんそうのくご）でした。箜篌は小型の竪琴で敦煌の絵画などから膝の上に乗せて演奏したもののようです。これはほとんど朽ちた状態で原型をとどめていませんでしたが、李賀の詩にあるように弦を通す穴が確かに２３本あることに当たり前のことながら感激しました。説明テープからは復元したものの音が聞こえていましたが、音楽にはまったくの門外漢ながらハープのようなたえなる音に聞きほれました（http://www.lifence.ac.jp/goto/silk/silk12.html）。李賀が李憑が奏でる箜篌を聞いたのが２０歳頃とすると西暦８１０年頃となり、大仏開眼会は天平勝宝４年（７５２年）ですから、なんと６０年も前に日本に請来されていたことになります。正倉院はすごいとつくづく思います。そんな思いから、今月は楽器を主題に挙げてみました。
李賀 「李憑箜篌引」 李憑の箜篌（くご）の引（うた）
李憑は唐の玄宗に仕えた竪琴の名人としか伝わっていないようですが、李賀のほかにも彼の箜篌の演奏を詠んだ詩がありますので、余程の名人だったのでしょう。「引」とは、楽曲にのせてうたう歌のようで、今の流行歌のようなものだったのではないでしょうか。李賀独特の豪華絢爛たる表現ですね。
この詩は、七言古詩ですが、脚韻のふみかたが特異です。普通は一句置きに韻を踏むのですが、この詩は韻を変えながら（長い古詩では普通のこと）、すべての句に韻を踏んでいるようです。
呉絲蜀桐張高秋 呉絲 蜀桐 高秋に張り
空白凝雲頽不流 空は白く雲を凝（こら）して 頽（くずれ）て流れず
江娥啼竹素女愁 江娥 竹に啼き 素女 愁う
李憑中国弾箜篌 李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山玉砕鳳凰叫 崑山 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉露泣香蘭笑 芙蓉 露泣いて 香蘭笑う
十二門前融冷光 十二門前 冷光を融かし
二十三絲動紫皇 二十三絲 紫皇を動かす
女媧錬石補天處 女媧 石を錬りて 天を補う処
石破天驚逗秋雨 石破れて 天驚き 秋雨を逗（も）らす
夢入神山教神嫗 夢に神山に入りて 神嫗（しんおう）に教うれば
老魚跳波痩蛟舞 老魚 波に跳（おど）り 痩蛟舞う
呉質不眠倚桂樹 呉質 眠らず 桂樹に倚れば
露脚斜飛濕寒兎 露脚 斜に飛んで 寒兎を濕（うる）おす
呉の絹糸と蜀の桐で出来た竪琴に、たけなわの秋、弦が張られる。空を白く雲が覆い、それが流れようとしたまま動かない。
湘江の女神が竹林の上に涙を落とし、琴の名手の神女は感動する。李憑がこの世界の真ん中で竪琴を弾き始めたのだ。
崑崙の玉が砕け、鳳凰が叫び、蓮の露が泣くようにこぼれ、香蘭が笑っているかのように、調べが響く。
長安の十二の城門では冷たい日差しを和らげ、二十三弦は天帝の心を動かす。
人類創造の女神が五色のレンガを作って天を修繕しているのに、レンガが壊れ、天は驚いて秋雨を漏らす。
李憑が夢の中で神山に入って、年老いた神女に琴を教えたとき、年老いた魚は波間に躍り、痩せた竜は舞った。
月の世界の呉剛（呉質は誤り？）も眠らず桂の木によりかかって聞き惚れ、夜露が斜めに飛び散って寒々とした月光をぬらしている。
劉長卿 「弾琴」
杜甫と同年代の人。役人として有能であったが、剛直な人柄のため、左遷されたこともある。州知事クラスの役職で終わる。禅にも心を寄せた。
泠泠七絃上 泠泠（れいれい）たり 七絃の上 七弦の琴のあたりには爽やかな音があがり、
静聴松風寒 静かに 松風の寒きを聴く 冷え冷えとした松風の声を聞くようだ。
古調雖自愛 古調 自ら愛すと雖えども この古い調べを私は愛するが、
今人多不弾 今人 多くは弾ぜず 今は弾く人も少なくなった。
劉吉甫 「聞笛」
北宋の詩人。
戍鼓停撾月五更 戍鼓 撾（う）つを停むれば 月五更
嗚嗚巧作断腸声 嗚嗚（おお）として巧みに作す 断腸の声
江南自是春来早 江南 自ら是 春の来ること早く
吹至梅花夢也清 吹いて梅花に至れば 夢も也（ま）た清からん
守備兵の打つ太鼓の音が止むとき、五更の夜空には月。嗚々として咽ぶような笛の音は巧みに断腸の声を作り出す。
ここ、北辺とは異なり、江南はもともと春の来るのが早いところ。笛の声が江南の梅花に至るならば、今夜私の見る故郷の夢もまた清らかだろう。
参考図書
中国詩人選集 李賀 荒井健注 岩波書店
唐詩三百首 東洋文庫 平凡社
中国名詩集 松浦友久著 朝日文庫