2005年3月
まだまだ、春寒の時節ですが、暖かい春はもうそこにやってきているようです。今月は「春の訪れ」と題して何気ない春の訪れを詠った詩を集めてみました。
韓愈 「早春」
天街小雨潤如酥 天街 小雨 潤(うるお)うて酥(そ)の如し
草色遥看近却無 草色 遥かに看るも 近づけば却って無し
最是一年春好處 最も是れ 一年 春の好き処
絶勝煙柳満皇都 絶(はなは)だ勝る 煙柳の皇都の満つるに
都大路は小雨に濡れてクリームのように艶やかである。遠くに広がる草原の緑も、近づいて見れば却ってどことも分からない。
今こそ一年で一番春の素晴らしい時分、霞にけむる柳が都に満ちるときよりもずっと勝っている。
范成大 「春日田園雑興」
范成大については2002年6月に紹介しました。
歩屧尋春有好懐 歩(かち)の屧(げた)もて 春を尋ぬれば好懐有り
雨餘蹄道水如杯 雨余の蹄道 水は杯の如し
随人黄犬攙前去 人に随う黄犬 前に攙(は)せて去(ゆ)き
走到渓邊忽自廻 走りて渓辺に到り 忽ち自ら廻(かえ)る
下駄をはいて春を訪ねて散歩に出ると心に楽しさが湧き出てくる。雨上がりの田舎道、蹄のあとが杯のよう。
お供の赤犬が前方に駆けてゆき、谷川の辺りまで行くと、さっとまた帰ってきた。
袁枚 「苔」
まあ、よくこんな細かいところに気がついたなと感心しますね。青春の意味は現在の用法とはちょっと違い、単に春の季節を表すようです。青春、朱夏、白秋、玄冬と各季節は代表する色を持っています。
白日不到處 白日 到らざる処 日の当たらない処にも
青春恰自来 青春 恰(あたか)も自ら来る 春はちゃんと訪れてくれる
苔花如米小 苔花 米の如く小さきも 苔の花は米粒のように小さいが
也學牡丹開 也(ま)た牡丹を学んで開く それでも牡丹の真似をして咲いている。
広瀬旭荘 「春雨到筆庵」
旭荘については2000年10月に紹介しております。この詩は下平六麻韻を使っています。この韻に属する字は多くはないのですが、花、家、涯、霞など詩人がよく使う字が入っています。しかし、それだけにこの韻を使うと私のような初心者は使う字が限られてきますので、発想が類型的になる危険性があります。この詩の韻字「斜」「家」「花」は、杜牧の「山行」(1999.10)と同じですね。
菘圃葱畦取路斜 菘圃(すうほ)葱畦(そうけい) 路を取ること斜めなり
桃尤多處是君家 桃 尤(もっと)も多き処 是れ君が家
晩来何者敲門至 晩来 何者ぞ 門を敲(たた)いて至れるは
雨與詩人與落花 雨と詩人と落花と
菜っ葉の畑とねぎの畦の中、道を斜めにとって行くと、桃がたくさん植えてあるところが君の家。
こんな夕暮れ時に誰が門を叩くかといえば、それは雨と詩人と落花。
参考図書
漢詩歳時記 春 黒川洋一他編 同朋舎
中国名詩選 松枝茂夫編 岩波文庫
日本漢詩人選集 広瀬旭荘 大野修作著 研文出版