2005年5月

 

 三月末、中国に行ってきました。杭州と黄山を観光しました。昨年から中国語を習い始めているのですが、まだ個人旅行をやる能力はなく、ツアーに参加しました。まだ、昨今の反日感情は起こってなく、江南の春を満喫してきました。それで、遅まきながら江南の春(だいぶ離れた地方のものも入っていますが)と題して詩を集めてみました。

 

孟浩然 「送杜十四之江南」

 孟浩然といえば、「春暁」春眠暁を覚えず・・・があまりにも有名ですが、王維とならび称せられる盛唐の自然派詩人です。かれは生涯仕官することが出来ず諸国を放浪しましたが、当時の著名な詩人たちと交友もちました。

この詩は、荊の地(湖北省、昔の楚の国)から呉(江蘇省)に下る友人との送別の詩です。

 

荊呉相接水為郷  荊呉 相接して 水 郷となる

君去春江正E茫  君去るに 春江 正にE茫たり

日暮孤舟何処泊  日暮 孤舟 何れの処にか泊る

天涯一望断人腸  天涯一望 人の腸を断つ

 

ここ荊の国と君が行く呉の国とは続きあって水郷地帯をなしている。君のたび行く春の長江は水量豊かに果てしなく続いている。

この夕べ、独り下る君の舟は何処に泊まるのやら。空の彼方を望めば、はらわたはちぎれるばかりの私の悲しみ。

 

 

杜牧 「村行」

 この詩は杜牧が江南の町の長官をしていた時のものと思われる。

 

春半南陽西  春は半ばなり 南陽の西

柔桑過村塢  柔桑の村塢(そんう)を過ぐ

娉娉垂柳風  娉娉(へいへい)たる垂柳の風

点点廻塘雨  点点たる廻塘の雨

蓑唱牧牛児  蓑つけ唱う牧牛の児

籬窺蒨裙女  籬より窺う蒨裙(せんくん)の女

半湿解征衫  半湿の征衫を解けば

主人饋鶏黍  主人 鶏黍を饋(すす)む

 

 

李U 「浪淘沙令」

 南唐の後主・李Uについては、2000年二月に紹介しましたが、この詞は彼が宋の都・汴京(開封)に幽閉されているとき、南唐の春を思い起こして作られたものです。

「天上人間」とは天上世界と人の世のような遠い隔たりを象徴する言葉です。先日、黄山の麓、屯渓の街中でこんな名前のレストランを見かけました。

 

簾外雨潺潺     簾外に雨潺潺(せんせん)たり

春意闌珊      春意 闌珊(らんさん)たり

羅衾不耐五更寒   羅衾は耐えず 五更の寒きに

夢裏不知身是客   夢の裏(うち)に 身は是客たることを知らずして

一餉貪歓      一餉(しばし) 歓びを貪りぬ

 

独自莫憑欄     独り自ら 欄に憑ること莫れ

無限江山      無限の江山

別時容易見時難   別るる時は容易にして 見ゆる時は難し

流水落花春去也   流水 落花 春去りゆきぬ

天上人間      天上 人間(じんかん)

 

簾の外にしとど降りしきる雨、春のけはいはやるせなく衰え行く。

薄絹の夜具に耐え難い明け方の寒さ。夢の中でこの身がさすらいの境遇であることを忘れ、しばしの歓びにひたったものを。

 

独りで欄干に寄りかかって眺めるのはよそう。無限に連なる山や川。

別離は簡単にやってくるが、めぐり合いはめったにない。流水落花とともに春は過ぎ去ってしまった。天上と人の世の隔たりのように、私の手の届かない彼方へと。

 

 

陸游 「春遊 四首 其一」

 陸游の最初の妻・唐琬への追憶はこれまでにも紹介しましたが(2000年5月)、生涯を通じて何度も繰り返し詠われます。これは、放翁84歳の時、沈園を訪れて詠んだものです。

 

方舟衝破湖波緑  方舟衝破す 湖波の緑

聯騎蹋残花径紅  聯騎蹋残す 花径の紅

七十年間人換尽  七十年間 人換り尽くし

放翁依旧酔春風  放翁 旧に依って 春風に酔う

 

二艘並んだ舟は湖水の緑の波を突き破り、二頭の騎馬は小道に散り敷く紅の落花を踏みしだいてゆく。

七十年の間に、ここを訪れる人はすっかり変わってしまったが、この放翁だけが昔のままに春風に陶酔している。

 

参考図書

 唐詩選 前野直彬注解 岩波文庫

 漢詩を読む 春の詩100選 石川忠久著 NHK出版

 中国詩人選集 「李U」 村上哲見注 岩波書店

漢詩への誘い 歴史と風土(杭州の巻) 石川忠久 NHKカルチャーアワー

 

 

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