2005年7月

 

だんだん暑くなってきました。今年は今のところ空梅雨のようですね。少しは降ってくれないと。各地のダムが干上がっているようです。

 

杜甫 「梅雨」

 

南京犀浦道  南京 犀浦の道           南京(成都)の犀浦県の道では

四月熟黄梅  四月 黄梅熟す           四月には梅の実が黄色く熟す

湛湛長江去  湛湛として長江去り         その頃の長江は水を満々と湛えてながれ

冥冥細雨来  冥冥として細雨来る         細かな雨が暗くうっとうしくと降ってくる

茅茨疎易濕  茅茨 疎にして湿(うるお)い易く  茅葺の屋根は疎らなもので雨がしみ易く

雲霧密難開  雲霧 密にして開き難し       雲や霧が深くたちこめてなかなか晴れない

竟日蛟龍喜  竟(きょう)日 蛟龍喜び      一日中喜んでいるのは水中の竜ぐらいで

盤渦與岸回  盤渦 岸と回る           水面の渦が岸に沿ってぐるぐると回っている

 

※成都犀浦県は杜甫が草堂を構えた土地

 

 

竇常 「北固晩眺」 (北固の晩眺)

 中唐の詩人。「北固」とは江蘇省鎮江市にある北固山です。高さ僅かに48mしかありませんが長江に突き出していて、風景のよいところのようです。

 

水国芒種後  水国 芒種の後           水郷地帯では芒種(陽暦6月6日頃)を過ぎ

梅天風雨涼  梅天 風雨涼し           梅雨空だというのに風雨はまだ涼しい

露蚕開晩蔟  露蚕 晩蔟を開き          夕暮れ時、露天飼の蚕をまぶしにひろげ繭を作る用意をし、

江燕語危檣  江燕 危檣に語る          川ツバメは高い帆柱の上で囀っている。

山址北来固  山址 北来して固く         北固山は南から北へ連なって険固であり

潮頭西去長  潮頭 西へ去って長(はるか)かなり 長江の水面は西へとはるかに流れてゆく。

年年此登眺  年年 此に登り眺むるに       毎年ここに登って眺めるのだが

人事幾銷亡  人事 幾たびか銷亡せし       人の世ではどれほどのものが消え去っていったことか。

 

 

楊万里 「過百家渡」(百家渡を過ぎる)

 陸游、范成大と並ぶ南宋の大詩人。一度、2001.07に紹介しています。

 

一晴一雨路乾濕  一晴一雨 路は乾湿

半淡半濃山疊重  半淡半濃 山は畳重

遠草平中見牛背  遠草 平らかなる中に 牛背を見る

新秧疎處有人縦  新秧 疎らなる処 人縦有り

 

空は晴れたり雨だったりで道には乾いたところと湿ったところができていて、山々は半ば淡く半ば濃く打ち重なって見える。

遠くの草が平らなところに牛の背中だけが見え、田んぼでは植えたばかりの苗がまばらなところに人の足跡がある。

前半後半とも対句でできた詩です。

 

 

元好問 「初挈家還讀書山」(初めて家を挈(たずさえ)て読書山に還える)

 南宋と対立していた金代末期の詩人。南宋の楊万里(前の詩)に遅れて生まれること67年。45歳の時、金は蒙古、南宋の連合軍に滅ぼされます。この詩は50歳の時、一家を挙げて故郷の山西省に帰った喜びを詠ったものです。山西省には梅雨はないでしょうから、ちょっとまずい選択でしたか。

 

乞得田園自在身  乞い得たり 田園自在の身

不成還更入紅塵  還た更に紅塵に入るを成さず

只愁六月河堤上  只だ愁う 六月河堤の上(ほとり)

高柳青風睡殺人  高柳の青風 人を睡殺するを

 

願いがかなって田舎で自由に暮らせる身となった。もう再び世間の塵にまみれることはするまい。

いま心配するのは、川の堤のほとりの柳を吹き抜けてきた六月の爽やかな風が、読書三昧の私をぐっすりと眠り込ませることぐらいである。

 

参考図書

 漢詩歳時記 夏 黒川洋一他編 同朋舎

 漢詩歳時記 渡部英喜著 新潮選書

 



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