2005年10月

 

旧暦九月九日は重陽の節句、すなわち菊の節句です。この日は中国人にとっても中秋節と並んで秋の大イベントであるらしく。多くの詩人が詩を詠んでいます。特に有名なのが、王維の詩でしょう。

王維の詩にもあるように、この日はみんなで山へピクニックに行くようで、楽しい秋の一日のようですが、今みんなに読まれている詩にはそんな楽しい情景のものはなく、寂しい詩ばかりですね。このギャップの感じが一層深い感興を催すのでしょうか。

 

王勃 蜀中九日

 王勃の詩は20012月にこれも重陽の日に作った「滕王閣」を紹介していますが、これは彼が四川省を旅しているとき作った詩です。彼は山西省太原の出身ですが、若くして才能を認められ都で就職しますが、軽薄な行状から都を追われて、四川を放浪します。

 

九月九日望郷臺  九月九日 望郷台

他席他郷送客杯  他席他郷 客を送るの杯

人情已厭南中苦  人情已に厭う南中の苦

鴻雁那従北地来  鴻雁 那(いか)んぞ北地より来れるや

 

重陽の節句、その名も悲しい望郷台。他郷で招かれて見知らぬ人に混じっての宴席で旅人を送る別れの杯。

私の心はこの南の土地のつらさに耐えかねているのに、あの雁はどうして、まあ、北からこんな所へ飛んでくるのだろう。

 

 

王維 九月九日憶山東兄弟 

 王維が17歳のとき科挙の試験のため長安に滞在中、重陽の節句に山西省の故郷を思って作ったといわれる。

 

獨在異郷爲異客  独り異郷に在りて 異客と為り

毎逢佳節倍思親  佳節に逢う毎に 倍(ます)ます親(しん)を思う

遥知兄弟登高處  遥に知る 兄弟 高きに登る処

遍挿茱萸少一人  遍く茱萸(しゅゆ)を挿して 一人を少(か)くを

 

ただ一人、異国での旅暮らしの身、楽しかるべき節句を迎えるたびにますます身内のことを思い出す。

目に浮かぶようだ。兄弟たちが高い岡に登っているのが。みんな冠に厄除けの茱萸の枝を挿しているのに、たった一人だけ欠けているものがいるのが。

 

 

杜甫 九日

 杜甫には、律詩における絶唱と目される「登高」(199910月)を既に紹介していますが、これも同じ重陽の日に作った詩の一つです。

 

重陽獨酌杯中酒  重陽 独り酌む 杯中の酒

抱病起登江上臺  病を抱きて 起きて登る 江上の台

竹葉於人既無分  竹葉 人に於いて 既に分無し

菊花従此不須開  菊花 此より開くを須いず

殊方日落玄猿哭  殊方(しゅほう) 日落ちて 玄猿哭き

舊国霜前白雁来  旧国 霜前に 白雁来たる

弟妹蕭條各何在  弟妹 蕭條 各(おのおの)何くにか在る

干戈衰謝両相催  干戈と衰謝と 両つながら相催す

 

重陽の日に一人で杯に酒を酌んでちょっと口をつけ、そして病の身を無理に起きて長江のほとりの台に登ってきた。

竹葉の酒ももう自分には飲む資格がないとなると、菊の花もこれから後は開かずともよい。

異郷のこの地に日が落ちかかって黒い猿が哭き、故郷の空から霜の来る前にもう白雁がやってくる。

蕭条としたこの気持ち、この日はみんなで高いところに登って楽しむというのに、弟や妹は今どこにいるのであろうか。兵乱と老衰がともにこの身に迫ってくる。

 

 

范成大 重九賞心亭登高

 范成大は20026月に紹介しましたが、この詩もその詩集から採りましたので、読み下しと解釈は間違っているかもしれません。

 

憶随書剣此徘徊  憶う 書剣を随えて 此を徘徊せしを

投老双旌重把杯  投老の双旌 重ねて杯を把る

緑鬢風前無幾在  緑鬢 風前に幾(いくばく)も在ること無く

黄花雨後不多開  黄花 雨後に多くは開かず

豊年江隴青黄徧  豊年の江隴 青黄徧ねく

落日淮山紫翠来  落日の淮山 紫翠来る

飲罷此身猶是客  飲み罷れば 此身は猶是客にして

郷心却附晩潮回  郷心 却って附す 晩潮の回るに

 

昔、書生の頃この辺りを徘徊したことを思い出す。今、年老いた将軍として再び訪れまたここで杯をとっている。

風に靡く髪に黒いものはほとんど残っておらず、雨の後、菊の花も多くは開いていない。

ただ、見渡せば豊年の今年は江のほとりの岡に青や黄に作物が稔っており、落日の中、淮山の緑が迫ってくる。

飲み終わってみると、この年になってもまだ故郷に落ち着いている身ではないことに気づく。里心は夕暮れの潮の流れが返るのとともに故郷のほうへとくっついて行くのだ。

 

参考図書

 唐詩選 前野直彬注解 岩波文庫

 杜詩 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫

 范成大詩選 周汝昌選注 人民文学出版社

 

 

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