2006年01月
新年おめでとうございます。以前にも「雪」のテーマで集めたことがありましたが、もう一度同じテーマで組んでみました。
白居易 「夜雪」
已訝衾枕冷 已に衾枕の冷やかなるを訝かり
復見窗戸明 復た窓戸の明らかなるを見る
夜深知雪重 夜深くして雪の重きを知り
時聞折竹声 時に竹を折る声を聞く
蘇軾 「十二月十四日夜、微雪、明日早往南 小酌、至晩」
(十二月十四日夜、微しく雪ふる、明日早に南 往きて小酌し、晩に至る)
南谿得雪真無値 南渓に雪を得たるは真に値無し
走馬来看及未消 馬を走らせて来り看て未だ消えざるに及ぶ
獨自被榛尋履跡 独自(ひとり)榛を被きて履跡を尋ね
最先犯暁過朱橋 最も先に暁を犯して朱橋を過ぐ
誰憐屋破眠無処 誰か憐れまん 屋破れて眠るに処無きを
坐覚村飢語不囂 坐ろに覚ゆ 村飢えて語の囂(かまびす)しからざるを
惟有暮鴉知客意 惟だ暮鴉の客の意を知る有りて
驚飛千片落寒條 驚飛すれば 千片 寒條より落つ
南渓に降った雪は本当に値段のつけようがない。早速馬を走らせて消えないうちに見に来た。
ひとり繁みをかき分けて、踏み跡を見失わぬようにし、一番乗りで明け方に朱塗りの橋をわたる。
村ではあばら屋ばかりで眠るところもないのを憐れむ人もなく、飢えのためか村人の口数が少ないのを覚える。
ただねぐらに帰るカラスだけが私の雪景色を楽しむ心を知っているようで、驚いて飛び立って、枯れ枝から雪を千々に落としてくれた。
呉偉業 「臨清大雪」
呉偉業は明の滅亡に遭い、江蘇の故郷に隠棲しようとしますが、詩人としての名声が高かったため、清朝に仕えることを強制されます。古来より中国では、二つの朝廷に仕えることは「弐臣」と呼ばれて、軽蔑と非難の対象となります。
この詩は清朝からの招きで北京(詩中では長安となっている)へ赴く途中の作で、その複雑な心境がありありとうかがわれます。後にかれは生涯この仕官を恥とすることになるのですが。
白頭風雪上長安 白頭 風雪 長安に上る
短褐疲驢帽帯寛 短褐 疲驢 帽帯寛(ゆる)し
辜負故園梅樹好 辜負す 故園 梅樹の好きに
南枝開放北枝寒 南枝開き放つも 北枝寒し
白髪あたまで吹雪に苦しみつつ都へと上る。粗末な衣服、疲れきったロバ、私は痩せて帽子も帯もすっかり緩くなってしまった。
ふるさとの美しい梅樹にそむいて、こんなところまで来てしまった。南ではすっかり花が開ききっているだろうに、北のこの辺りではまだ蕾は固く寒々としている。
袁枚 「詠雪」 (雪を詠う)
空山雪墜一聲鐘 空山 雪墜ち 一声の鐘
花落花開萬萬重 花落ち花開き 万万に重なる
窗外亂飛胡蝶影 窓外 乱飛ぶ 胡蝶の影
客来都帯鷺鷥容 客来 都(す)べて帯ぶ 鷺鷥(ろし)の容
人情應笑青雲改 人情 応に笑うべし 青雲の改まりて
版籍全歸白帝封 版籍 全て白帝の封に帰するを
我自瑤臺甘小謫 我は瑤台より小謫に甘んじ
三年只種玉芙蓉 三年 只だ種(う)う 玉芙蓉
この詩、技巧を凝らして雪を詠っています。「花落花開」、「胡蝶」は雪のひらひらと舞い落ちる様、「鷺鷥容」は雪をすっぽりと被ってシラサギのような姿を形容しているのでしょう。
後聨(5,6句)の対句は並列ではなく、二句で一つの文になっています。いわゆる流水対といわれる凝ったものです。「白帝」は本来五帝のうち秋をつかさどる神ですが、ここでは雪の帝王が中国の版図を支配しているという意味でしょうか。この対句の中の「笑」はどういう感情を表現しているのか? ちょっと解釈出来ません。
また「瑤臺」は漢和辞典では「仙人の住む御殿」「雪の積もった宮殿」の意味がありますが、これも両者を掛けて、作者を地上に流された仙人になぞらえているのでしょう。或いはこのとき作者はちょっとした左遷の状態にあったのかもしれません。
参考文献
漢詩歳時記 冬 黒川洋一他編 同朋舎
漢詩名句辞典 鎌田正、米山寅太郎著 大修館書店