2006年3月

 

 先日、久しぶりに東京へ行き、「書の至宝」展を見てきました。書を見るのは大好きなのですが、書くのは下手で、また見てもさっぱり判りません。いつか判るようになりたいと願いながら見ているのが正直なところです。しかし、蘇東坡、黄山谷といった詩人の真跡を目の当たりにするとやはり感動しました。

 その中で、米芾の書に元好問の跋文がありました。元好問の書跡で現在残っているのはこの一点だけだそうです。内容を読む時間はありませんでしたが、そのきっちりとした書体には何か惹かれるものがありました。それまで元好問の詩は読んだことがなかったのですが、家に帰ってさっそく読んでみました。杜甫を髣髴とさせる堂々たる唐詩の風で感動しました。

 元好問は金から元の初めの戦乱の中を生きた詩人です。我々が中国の歴史を読むとき、どうしても南宋の立場に立ってしまい、金などは北方民族の征服王朝で文化的には見るものがないと思いがちですが、元好問は金こそが中原に立つ中国の伝統を受け継ぐ正統王朝であると強く主張しました。

 元好問は1190年、山西省太原の士大夫の家庭に生まれました。遠祖には唐の詩人・元結がいます。彼が生まれたとき、金は全盛時代を過ぎ、北から蒙古の圧力がひしひしと迫ってきていました。三十歳台で進士に及第し、官途につきますが高い地位には至りませんでしたが、詩人・学者としての名声は高かったようです。45歳のとき、蒙古・南宋の同盟により、挟み撃ちにあった金は滅亡し、中原の地は蒙古の蹂躙するところとなります。元の世となってからは、68年の生涯、後に編集されるであろう金史の資料とすべく、金の治世の事跡を蒐集することに努めます。

 

永寧南原秋望

 20歳台の作品。既に蒙古の侵略の影が暗く覆いかかっています。

 

浩浩西風入敝衣   浩浩たる西風  敝衣(へいい)に入り

茫茫野色動清悲   茫茫たる野色 清悲を動かす

洗開塵漲雨纔定   塵の漲(みなぎ)るを洗開して 雨纔(わず)かに定まり

老盡物華秋不知   物華を老尽するも 秋知らず

烽火苦教郷信斷   烽火 苦(はなは)だ郷信を教(し)て断しめ

砧声偏与客心期   砧声 偏(ひと)えに客心と期す

百年人事登臨地   百年 人事 登臨の地

落日飛鴻一線遅   落日 飛鴻 一線遅し

 

吹き渡る秋風がやれたる衣に入り、茫々とした野の色は私に清澄な悲しみをもたらす。

漂う塵埃を洗い清めて雨はようやく収まり、自然を老い衰えさせながら秋はそ知らぬ顔。

戦の狼煙は故郷の便りを断ち、きぬたの音は郷愁とぴったりと適う。

私の一生(過去、未来)のことを考えながらこの高みから遠望するとき、夕陽の中、孤独なおおとりの飛ぶ直線の進みも遅いように見える。

 

岐陽 三首 (其の二)

 42歳、蒙古の大軍が凰翔府を陥れたとの知らせを受けて作った詩。

 

百二關河草不横   百二の関河 草横わらず

十年戎馬暗秦京   十年 戎馬 秦京暗し

岐陽西望無来信   岐陽 西望すれども 来信無く

隴水東流聞哭声   隴水(ろうすい) 東流して 哭声を聞く

野蔓有情縈戦骨   野蔓 情有りて 戦骨に縈(まつ)わり

殘陽何意照空城   残陽 何の意か 空城を照らす

従誰細向蒼蒼問   誰に従いて 細かに蒼蒼に向いて問わん

争遣蚩尤作五兵   争(いか)でか 蚩尤(しゆう)を遣(し)て五兵を作らしめしやと

 

函谷関と黄河で守られ、百に対して二の力で守りきれるといわれたこの中原の地が草も生えないほど荒れ果て、十年の戦乱で秦の都は陰惨の気に満ちている。

西の方、岐陽を望んでも何の消息もなく、隴から流れくる水は東にそそぎ、民の悲惨な泣き声となって聞こえる。

野のつる草は情け深く、戦で死んだ白骨にまとわりつき、どういうつもりか夕陽は人の住まぬ死の都市を照らし出している。

ああ、私は誰と共に天に向かって詳しく尋ねようか、どうして蚩尤などという悪逆者に五種類もの兵器を作り出させたのかと。

蚩尤:古代神話中の人物。殺戮を好み、武器を初めて作ったといわれる。

 

癸巳五月三日北渡 三首 其一

 44歳、蒙古軍にとらわれた彼は黄河を渡って北の地へと連行された。

 

道傍僵臥満纍囚   道傍に僵臥(きょうが)して 纍囚(るいしゅう)満ち

過去旃車似水流   過ぎ去る旃車(せんしゃ)は 水の流るるに似たり

紅粉哭随回鶻馬   紅粉 哭して随う 回鶻の馬

為誰一歩一廻頭   誰が為ぞ 一歩に 一たび頭を廻らす

 

路傍には互いに縄でつながれた捕虜が倒れ伏し、過ぎ行く幌馬車は水の流れのようにひきもきらぬ。

女たちはウイグル族の馬に声を出して泣きながら付いてゆくが、誰を思ってか一歩ごとに一度後ろを振り返る。

 

野史亭雨夜感興

 晩年、金代の事跡の蒐集に情熱を燃やしていた頃の詩。

 

私録關赴告  私録も赴告(ふこく)に関わる     個人の記録も公の歴史に関係がある

求野或有取  野に求むれば或いは取る有らん   民間の資料が求められるときには役に立つこともあろう

秋兔一寸毫  秋兔 一寸の毫(ごう)         秋の兔の毛の極細の筆をもって

盡力不易挙  力を尽せど 挙ぐるに易からず    懸命に努めても仕事ははかどらぬ

衰遅私自惜  衰遅 私(ひそ)かに自ら惜しむ    歳をとっての衰えをひそかに労わりながら

憂畏当誰語  憂畏 当に誰にか語るべき      憂いや恐れを誰が聞いてくれよう

展轉天未明  展転 天未だ明けず          展転とするが夜はまだ明けぬ

幽窗響疎雨  幽窓 疎雨響く              暗い窓にまばらな雨が響く

 

参考図書

 中国詩人選集二集 「元好問」 小栗英一注 岩波書店

 

 

 

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