2006年4月

 

寒食とは日本では馴染みのない習慣ですが、昔の中国では冬至から百五日目(大体陽暦の4月初め)を寒食といい、この日は火を使うのを禁じ前日に作った冷たい食事をしたそうです。そのいわれは、この日には突風や、豪雨が発生する日といわれたからだそうです。特に唐、宋時代にはこの日を挟んで3日間、冷たい食事を食べなければならなかったようです。

もう一つ寒食の俗説として、春秋時代晉の文公が、家臣だった介子推が山に隠棲しているのを再び重用しようとしたが、どうしても山から出てこないので、追い出そうとして山に火をつけたところ、焼け死んでしまった。それを悼んでその日は火を使わないようにしたのが寒食の始まりだという。

暖かい食事になれた中国人にとっては、侘しいものだったようでその感慨を詠った詩が多くあります。

寒食が終わると清明節となり、新しい火で食事をつくり、また墓参りや郊外へのピクニックなど楽しい行事があったようです。

 

韓翃(かんこう) 「寒食」

 中唐の詩人。

 

春城無處不飛花   春城 処として飛花ならざるは無く

寒食東風御柳斜   寒食 東風 御柳斜めなり

日暮漢宮伝蝋燭   日暮 漢宮 蝋燭を伝え

軽煙散入五侯家   軽煙 散じて五侯の家に入る

 

春の都は至る所に花びらが飛び交っており、寒食の時節には東風がお堀の柳を斜めに吹いている。

日暮れになると王宮には寒食の終わりの新しい火を点じた蝋燭が運び出され、薄煙を上げながら、天子のお気に入りである五人の侯爵の家へと入ってゆく。

 

 

白居易 「寒食夜」

 

四十九年身老日   四十九年 身老ゆる日

一百五日月明天   一百五日 月明らかなる天

抱膝思量何事在   膝を抱いて思量するも何事か在らん

痴男騃女喚鞦韆   痴男騃女(ちだんがいじょ) 鞦韆(しゅうせん)を喚ぶ

 

四十九歳、もう老いを感じる日、冬至から百五日目の寒食の今日、月明かりの空。

所在無く膝を抱いて物思いに沈むが、さりとて大したことがあるわけでもない。外では子供たちがブランコあそびにはしゃいでいる。

 

 

 

元好問 「山中寒食」

 

小雨斑斑浥曙煙   小雨 斑斑 曙煙を浥(うる)おし

平林簇簇點晴川   平林 簇簇(ぞくぞく) 晴川に点ず

清明寒食連三月   清明 寒食 三月に連なり

穎水ッ山又一年   穎水(えいすい) ッ山(すうざん) 又一年

楽事漸随花共減   楽事 漸く花に随いて共に減じ

歸心長與雁相先   歸心 長く雁と相先んず

平生最有登臨興   平生 最も有り 登臨の興

百感中来只慨然   百感 中より来って 只 慨然たり

 

小雨がぱらぱらと朝もやをうるおし、林が一群れ一群れと晴れ上がった河原に点在する。

寒食と清明節が三月に続いてあり、穎水のほとり、ッ山の麓でのわび住まいがまた一年たった。

春の楽しい行事も散り行く花とともに減ってゆき、それとともに帰郷の想いがつねに北へ帰る雁と先を争う。

普段から高いところに登って見渡すのが大好きなのだが、もろもろの思いが心のうちから湧き起こってただ悲しみにくれるのだ。

 

参考図書

 漢詩歳時記 黒川洋一編 同朋舎

 春の詩100選 石川忠久 NHK出版

 中国詩人選集二集 元好問 小栗英一注 岩波書店

 

 

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