2006年5月

 

辺塞詩人 岑參

 我々が漢詩に親しむ最初は、「唐詩選」によることが多いと思います。「唐詩選」は、明代に李攀竜という詩人が編集したといわれますが、個人的な好みが強い編集で、唐代の詩人を網羅したものとはいえません。すなわち、初唐から盛唐にかけての詩が中心であり、中唐の白居易、晩唐の杜牧などは選ばれていません。その詩も雄大壮麗で格調高いものが好んで選ばれています。

 さて、今回の岑參はその「唐詩選」に杜甫、李白、王維についで28首も採られている詩人です。時代はほぼ杜甫と同年代の人で、安西、河西などの節度使の幕僚として長く塞外(万里の長城の外)に勤務しました。多くの詩人が辺境の詩を詠んでいますが、大部分が都で辺境の兵士を想像して作ったものですが、岑參のものは実景を詠んだものです。

 

 

胡笳歌送顔真卿使赴河隴 胡笳の歌 顔真卿の使いして河隴に赴くを送る

 顔真卿といえば、書の大家として知られていますが、安禄山の乱の平定にも功績のあった唐代の名臣です。剛直な性格が災いして悲劇的な最後を遂げます。この詩は彼が若いとき西域に使いしたとき岑參が送った詩です。古詩の形をとり、何度も同じ語が使われ、なんとなく古拙な感じを出して作っているようです。

 

君不聞胡笳聲最悲   君聞かずや 胡笳の声 最も悲しきを

紫髯緑眼胡人吹    紫髯緑眼の胡人吹く

吹之一曲猶未了    之を吹いて 一曲 猶を未だ了(おわ)らざるに

愁殺楼蘭征戍児    愁殺す 楼蘭征戍の児

涼秋八月蕭關道    涼秋 八月 蕭関の道

北風吹斷天山草    北風 吹断す 天山の草

崑崙山南月欲斜    崑崙山南 月斜めならんとし

胡人向月吹胡笳    胡人 月に向いて胡笳を吹く

胡笳怨兮將送君    胡笳の怨み 将に君を送らんとす

秦山遥望隴山雲    秦山 遥かに望む 隴山の雲

邊城夜夜多愁夢    辺城 夜夜 愁夢多く

向月胡笳誰喜聞    月に向う胡笳 誰か聞くを喜ばん

 

聞きたまえ、あの胡笳の音のなんとも悲しいのを。あれは紫色の髯、緑の眼をした異人が吹いているのだ。

一曲を吹き終わらないうちに、もう、楼蘭の地で守りについている若者を愁いに沈ませてしまう。

八月、うら悲しい秋の蕭関の道、北風が天山の草を吹きちぎる。

崑崙山の南に月が斜めにかかるとき、胡人は月に向かって胡笳を吹くのだ。

その胡笳の怨みを含んだ調べで君を送ろう。秦山の彼方に君が行く隴山の雲が望める。

辺境の町での泊まりは夜夜愁いに満ちた夢を見るだろう。そんな夜、月に向かって吹く胡笳の調べを誰が喜んで聞くだろうか。

 

 

磧中作       磧中(せきちゅう)の作

 

走馬西來欲到天   馬を走らせて西へ來り 天に到らんと欲す

辭家見月兩囘圓   家を辞して月の両回円かなるを見る

今夜不知何處宿   今夜 知らず 何れの処にか宿るを

平沙萬里絶人煙   平沙 万里 人煙を絶す

 

馬を走らせて西へと進んで来て、天の果てにも至ろうとしている。家を出てもう二回の満月を見た。

今夜はどこで泊まったらよいのであろうか。見渡す限りの砂漠、人家の煙はどこにも立ち上っていない。

 

 

苜蓿烽寄家人    苜蓿烽にて家人に寄す

 

苜蓿烽邊逢立春   苜蓿烽辺 立春に逢い

胡蘆河上涙沾巾   胡蘆河上 涙 巾を沾(うるお)す

閨中只是空相憶   閨中 只だ是れ空しく相憶わんも

不見沙場愁殺人   沙場の人を愁殺するを見じ

 

玉門関を越えて西域に入った苜蓿烽の辺りで立春を迎えた。胡蘆河のほとりに立てば、涙がハンカチをびっしょりと濡らす。

貴女はねやの中でむなしく私のことを思ってくれているのだろうが、砂漠の風景がどんなに人を深い憂いに沈ませるのかは想像もつかないだろう。

 

参考図書

 唐詩選 前野直彬注解 岩波文庫

 

 

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