2006年10月
杜甫の生涯で比較的平穏だった成都(四川省)での五年間の生活はパトロンの死によって終わり、54歳の5月成都を去って長江を下ります。そして55歳の春、三峡白帝城の麓の町夔州(奉節)に至り、一年半ここに滞在します。ここでの杜甫は多作だったようで、現在残っている杜甫の詩の内約三分の一がこの地で作られた詩です。今月はその年の秋に詠まれた詩を紹介します。すでに「登高」(1999.10)、「秋興 其の一」(2000.12)は紹介済みですが。
夜
露下天高秋水清 露下くだり 天高くして 秋水清し
空山獨夜旅魂驚 空山 独夜 旅魂驚く
疎燈自照孤帆宿 疎燈 自ら照して 孤帆宿し
新月猶懸雙杵鳴 新月 猶お懸りて 双杵鳴る
南菊再逢人臥病 南菊 再び逢いて人病に臥し
北書不至雁無情 北書 至らず 雁無情
歩簷倚杖看牛斗 歩簷 杖に倚りて 牛斗を看れば
銀漢遙應接鳳城 銀漢 遙かに応に鳳城に接するなるべし
高く澄んだ空から露が下り秋の流れは清らかだ。人気のない山にひとり夜を過ごしていると、旅の心は憂いに沈む。
長江の畔には一艘の帆掛け船がわびしい灯火に自らを浮かび上がらせており、まだ山には沈みきらぬ月がかかっているなか、砧(ふたりで向かい合って打つ)の音が聞こえてくる。
南の地の菊の花を見るのはこれが二度目だが、私は今度も病の身、北の故郷からの手紙は来ることもなく、手紙を運ぶという雁は無情にも手ぶらでやってくる。
歩廊で杖に寄りかかって空の牛斗の星を見上げると、天の川がかかっているが、その北の端は鳳城(長安)に接しているのだろう。
秋風 二首
其二
秋風浙浙吹我衣 秋風 浙浙(せきせき)として 我が衣を吹く
東流之外西日微 東流の外 西日微なり
天清小城擣練急 天清く 小城 練(れん)を擣(つ)くこと急なり
石古細路行人稀 石古りて 細路 行人稀なり
不知明月為誰好 知らず 明月 誰が為にか好き
蚤晩孤帆他夜歸 蚤晩(そうばん) 孤帆 他夜帰る
會將白髪倚庭樹 会(かなら)ず 白髪を将って 庭樹に倚らん
故園池臺今是非 故園の池台 今は是非
秋風がヒュウヒュウと私の衣を吹き、長江は変わらずに東へ流れて行くが西に傾く日の光は微かになってきた。
秋空は清く澄んで、この小さな町でも練り絹を打つ砧の音が急に聞こえ、敷石の古びた細い路には道行く人はまれである。
明月は誰に見てほしいと思って輝いているのか知らないが、自分は一艘の舟に乗って遅かれ早かれ必ず故郷に帰ろう。
そして、白髪でもって庭木に寄りかかってこの明月を見よう。それにしても故郷の池やうてなはどうなっていることやら。
秋興 八首
其三
千家山郭静朝暉 千家の山郭 朝暉静かなり
一日江樓坐翠微 一日 江樓 翠微に坐す
信宿漁人還泛泛 信宿の漁人 還(ま)た泛泛(はんはん)
清秋燕子故飛飛 清秋の燕子 故らに飛飛たり
牛t抗疏功名薄 牛t 疏を抗(あ)げて 功名薄く
劉向傳經心事違 劉向 経を伝えて 心事違う
同學少年多不賤 同学の少年 多くは賤しからず
五陵衣馬自軽肥 五陵の衣馬 自ずから軽肥
千戸ほどの山懐のこの町にも朝の光が静かにさし、私は一日中江の畔の楼閣に翠の山の気の中に座っている。
一夜二夜泊まりの漁師の舟も自分の舟同様にポツポツと浮かんでおり、秋になったのにツバメたちはまだこの地を飛び回っている。
現在の牛tを自負した私は彼のように天子に上奏したが功名を得ることも薄く、劉向のように子供に学問を伝えようとしたがその願いも達せられなかった。
同級の少年たちの多くは今は立身出世をして、五陵(長安の高級住宅地)あたりで軽い上等の着物によく肥えた馬に乗ってときめいていることだろう。
参考図書
杜甫詩選 黒川洋一編 岩波文庫
杜詩 第六冊 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫
杜甫の旅 田川純三著 新潮選書