2007年02月
一休、森女に溺る
一休さんといえば、良寛と並んで子供にまでよく知られている禅宗の僧侶ですが、一休の実際の人物像は大変複雑です。若いときの激しい修行の後、当時の悟りすましたような偽善的な禅宗の風潮に強く反発し、戒律を無視した風狂の生活を送ります。その詩偈は風狂の露悪的な表現、他人に対する悪罵に満ちており、常識人の我々にとってはいささか辟易とさせられるものがあります。
私は今回初めて一休の詩偈を、富士正晴が解説した本で読みました。竹林の仙人と称せられた彼もちょっと持て余している様子ですが、その飄々とした訳も面白いので、そのまま引用いたします。今回は、森侍者との愛欲の詩を紹介します。
77歳のとき、一休は住吉大社薬師堂で盲女、森(しん)の舞を見て見初めます。当時、森は一休より50歳以上若かったと言いますから、二十代だったのでしょう。一休は彼女を当時住んでいた、京田辺の酬恩庵にともない、以後88歳で死ぬまで同棲します。
「婬水」などという詩もありますが、なんと申しましょうか、ここまで赤裸々に書くかと感心します。禅坊主の露悪趣味は真似できまへんわ。しかし、お元気なのはうらやましいですな。そういえば、一休は蓮如上人と親交があったと伝えられています。この人も生涯で5人の妻に30人近い子供をつくりましたが、最後の二人は80歳を越えてからの子供です。相通ずるものがあったのでしょう。
森公乗輿 森公 輿に乗る
鸞輿盲女屡春遊 鸞輿の盲女 屡(しばしば)春遊す
鬱鬱胸襟好慰愁 鬱鬱たる胸襟 愁を慰むるに好し
遮莫衆生之軽賤 遮莫(さもあらばあれ) 衆生の軽賤することを
愛看森也美風流 愛し看る 森や 美風流
美しい車にのって 盲女しばしば春遊び
鬱したる気分にはいい 愁いが慰む
どうでもいいよ 人々が下にみるとも
わが愛し看る森よ はんなりしてるよ
美人陰有水仙花香 美人の陰(ほと)に水仙の花の香有り
楚台応望更応攀 楚台 応に望むべし更に応に攀(よ)ずべし
半夜玉床愁夢顔 半夜の玉床 愁夢の顔
花綻一茎梅樹下 花は綻(ほころ)ぶ一茎 梅樹の下
凌波仙子繞腰間 凌波の仙子 腰間を繞る
女体視るべし のぼるべし
夜半のベッド 人恋し気な顔がある
花はほころぶ一茎 梅樹の下に
水仙は腰の間をめぐるなり
九月朔森侍者借紙衣村僧禦寒。瀟洒可愛。作偈言之。
(九月朔 森侍者 紙衣を村僧に借り寒を禦ぐ。瀟洒愛すべし。偈を作りて之を言う。)
良霄風月乱心頭 良霄の風月 心頭乱る
何奈相思身上秋 何奈(いかんせん)相思 身上の秋
秋霧朝雲独瀟洒 秋霧朝雲 独り瀟洒
野僧紙袖也風流 野僧の紙袖 也(また)風流
ああええなあ むらむらするわ
どないしよう 思い合うてる仲じゃけど
なんとまあ おまえばかりが瀟洒じゃな
わしの紙衣も 見栄えがしたわ
富士正晴曰く「あほらしくてこんな風に反訳するより仕方がない。良霄風月も、秋霧朝雲も、つまりはシンへのほめ言葉にすぎぬ。」
参考図書
日本詩人選27 一休 富士正晴著 筑摩書房