2007年03月

今月は先月載せた「鶏肋集」の記事から思いをはせて、中国南方の少数民族を詠んだ詩を集めてみました。どの詩も、日本語の解説のない本から引用し、勝手に解釈を加えましたので誤りがあるかも知れません。

 

柳宗元 「柳州峒氓」            柳州の峒氓

 

 先月「鶏肋集」に侗族の村の写真を載せましたが、私が訪れた所はちょうど唐代に柳宗元が刺史(知事)をしていたところです。柳宗元はこの地で亡くなりますが、名知事として後の世まで慕われます。この詩を読むと、少数民族を役人に起用していたようです。

 

郡城南下接通津   郡城 南に下れば 通津に接す

異服殊音不可親   異服 殊音 親しむべからず

青箬裹塩帰峒客   青箬(せいじゃく) 塩を裹(つつ)む 帰峒の客

緑荷包飯趁虚人   緑荷 飯を包む 趁虚(ちんきょ)の人

鵞毛御臘縫山罽   鵞毛 臘を御(ふせ)がんと 山罽(さんけい)を縫い

鶏骨占年拝水神   鶏骨 年を占いて 水神を拝す

愁向公庭問重訳   愁い公庭に向いて 重訳に問う

欲投章甫作文身   章甫を投じて 文身を作さんと欲すと   

 

柳州の町から南へ下れば川港に出る。その辺りでは変わった服装、分らない言葉が飛び交い異国のようである。

青いクマザサの葉に塩をつつんで侗族の部落へ帰る客や、緑のハスの葉に飯を包んでいる市場に買い物に来た人たち。

臘月(旧暦十二月)の寒さを防ごうと羽毛を使って綿入れの服を縫い、鶏の骨を焼いて来年の収穫を占って水神に祈る。

憂わしげに役所に来て、通訳にお願いする。有り難くも頂戴した役人の帽子だが、返上して、体に入れ墨をしたいと。

 

臘:種本(中国語)では「腊」の字が使われていました。辞書には「腊」は「臘」の簡体字とありましたので、もともとどちらが使われていたか不明ですが、我々にわかりやすい「臘」を使いました。 

 

劉禹錫 「莫瑶歌」

 

 劉禹錫は柳宗元とともに政治改革運動を起しますが、失敗して流罪になり、広東省連州刺史に赴任します。連州は柳宗元のいた柳州とは余り離れておらず、また現在でも周りに瑶族自治県があります。劉禹錫は瑶族が人間ではないような歌いぶりですね。この詩の解釈は私がしたので間違っているかも知れません。

 

莫瑶自生長  莫瑶 自ら生長し

名字無符籍  名字 符籍無し

市易雑鮫人  市易 鮫人と雑わり

婚姻通木客  婚姻 木客と通ず

星屋占泉眼  星屋 泉眼を占め

火種開山脊  火種 山脊を開く

夜渡千仞渓  夜 渡る 千仞の渓

含沙不能射  含沙も射る能ず

 

瑶族の人間は独りで成長して、姓名の名簿や戸籍はない。

鮫人(海中の人魚)とも交易するし、木客(山中の怪物)と結婚したりする。

集落は泉を中心にして家が星のように点在し、焼き畑をして山稜を開拓する。

夜に千尋の谷を飛び渡り、含沙(水中の毒虫)さえ毒を射かけることが出来ない素速さである。

 

 

蘇軾  「被酒獨行遍至子雲威徽先覚四黎之舎三首」

   ( 酒を被りて独り行き遍く子雲・威・徽・先覚の四黎の舎に至る三首)

 海南島に流された蘇軾は黎族の人たちと親交を結びます。彼らの言葉を学んで、黎族になってもよいと詩に詠っています。

 

其一

半醒半醉問諸黎   半ば醒め半ば醉いて 諸黎を問えば

竹刺藤梢歩歩迷   竹刺 藤梢 歩歩に迷う

但尋牛矢覓歸路   但 牛矢を尋ねて歸路を覓(もと)めん

家在牛欄西復西   家は牛欄の西の復た西に在り

 

ほろ酔い加減で黎族の家々を訪ねると、竹の枝や藤蔓で一歩一歩迷う。

しかし、帰りは牛の糞を探して帰ればよい。家は牛飼い場の西の西にあるのだから。

 

其二

總角黎家三四童   總角 黎家の三四童

口吹葱葉送迎翁   口に葱葉を吹いて 翁を送迎す

莫作天涯萬里意   作す莫れ 天涯万里の意

谿邊自有舞雩風   谿辺 自ら舞雩(ぶう)の風有り

 

あげまきの髪の黎族の家の3、4人の童子、葱の葉の草笛を吹いて翁を送り迎えしてくれる。

我が身は天の果て万里の地に流されたなどと思うではない。この地の谷間には中国の古代を感じさせる温雅な風が吹いているのだから。

 

:元の意は雨乞いの祭り。林間の優雅な地(論語)

 

 

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