2007年04月

 今月は杜甫が迎えた成都の春です。これまでも、またこの後も悲惨な流浪の旅を続ける杜甫ですが、成都の浣花草堂に落ち着いていた五年余は良きパトロンも得て平穏な日々を送ります。この時期の詩は杜甫には珍しく明るく、またユーモアにあふれた詩を作っています。今までにも「江村」(2001.01)、「絶句漫興 其五」(2002.05)と成都での詩を紹介してきましたが、今月の詩もまたどれもほのぼのとした詩です。特に「絶句漫興」は春の事物を罵りながらも、その実うきうきとした気分が伝わってきます。

 

 

「客至」

 

舎南舎北皆春水   舎南 舎北 皆春水

但見群鷗日日来   但見る 群鴎の日日に来るを

花径不曽縁客掃   花径 曽て客に縁りて掃わず

蓬門今始為君開   蓬門 今始めて君が為に開く

盤飧市遠無兼味   盤飧(ばんそん) 市遠くして 兼味無く

樽酒家貧只舊醅   樽酒 家貧にして 只旧醅のみ

肯與隣翁相對飲   肯(あ)えて隣翁と相対して飲まんや

隔籬呼取盡餘杯   籬(まがき)を隔てて 呼び取りて余杯を尽さしめん

 

家の南も北も一面春の水があふれ、ただ鴎の群れが毎日やって来るのを眺めるだけ。

花の咲いている小径は訪れる客もなく掃くこともなかったし、開かないままの蓬の門も今日初めて君のために開くのだ。

市も遠いこととてご馳走といってもただ一品のみ、家が貧しくて酒は古酒しかない。

隣の爺さんとも飲もうじゃないか。垣根越しに呼んで飲み尽くそうではないか。

 

 

「絶句漫興 九首」

 

其一

眼見客愁愁不醒   眼(まなこ)に見る 客愁は愁いて醒めざるを

無頼春色到江亭   無頼の春色 江亭に到る

即遣花開深造次   即ち 花をして開かしむるも 深く造次(ぞうし)なり

便教鶯語太丁寧   便(すなわ)ち 鶯をして語らしむるも 太(はなは)だ丁寧なり

 

旅の愁い、その愁いの醒めない様がありありと眼前に見える。憎々しい春の景光がまた川縁の亭にやって来た。

それは花を咲かせるのだが実に出し抜けであり、また鶯を鳴かせるのはあまりにもくどいのだ。

 

 

其二

手植桃李非無主   手ずから植うる桃李 主無きに非ず

野老牆低還是家   野老 牆(かき)低きも 還た是れ 家なり

恰似春風相欺得   恰(あたか)も似たり 春風の相欺(あなど)り得たるに

夜来吹折數枝花   夜来 吹き折る数枝の花

 

手ずから植えた桃やスモモ、主がいないわけではなく、自分という主がいるのだ。このオヤジの家の垣は低いがそれでも家は家。

それなのになんだ、昨夜から数本の花の枝が吹き折られてしまった。まるで春風に侮辱されたようなものだ。

 

 

其三

熟知茅齋絶低小   茅齋の絶(はなは)だ低小なるを熟知して

江上燕子故来頻   江上の燕子 故(ことさ)らに来ること頻りなり

銜泥點汙琴書内   泥を銜みて 點汙(てんお)す 琴書の内

更接飛蟲打著人   更に飛虫を接して 人を打著す

 

私の茅の書斎が甚だ小さいのをよく知っていて、川べりの燕のやつがわざと頻りにやってくる。

泥を銜えてやって来ては琴や書物のあたりを汚したり、その上飛び回る虫を引連れて人にぶつからせている。

 

参考図書

 漢詩歳時記 春 黒川洋一他編 同朋舎

 杜甫全詩集 鈴木虎雄注 日本図書センター

 

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