2007年06月

 今月は薛涛と並んで唐代を代表する女流詩人・魚玄機を紹介しましょう。森鴎外に「魚玄機」という歴史小説がありますが、その解釈が真実かどうかは別として、彼女の数奇な生涯がよく描かれています。

 魚玄機は唐代の終わり長安の遊郭の娘として生まれたとされています。詩は遊女が客の相手をするための教養として勉強させられたのでしょう。幸いなことに、彼女は晩唐の代表的詩人温庭筠に目をかけられ、詩の指導を受けます。元々、天分があったから、温庭筠の目にとまったのでしょうが。

 その後、彼女が十六、七の頃でしょうか、温庭筠の友人である李億という素封家(官僚?)の妾となります。数年して二十歳の頃、江南地方を旅している途上、武漢で二人は別れたようです。

 次に彼女は女道士となって道教寺院に住みます。そして、侍女を殺害した罪で死刑になります。二十六歳のときといわれています。

 彼女には、その育ちからあまり儒教の教養はなかったのでしょう。そのため、恋愛感情が抑制されることなく奔放に詠われています。特に、李億との別れの悲しみを詠った詩は絶唱をいえると思います。儒教の臭みがないのがいいですね。

 

贈隣女 (隣女に贈る)

 最後の二句が理解しにくいのですが、この詩は「李億員外に寄す」と題されているものもあるそうで、別れた男に送った詩と考えると解るような気がします。

 

羞日遮羅袖  日を羞じて 羅袖を遮り

愁春懶起妝  春を愁いて 起妝に懶し

易求無價寶  無価の宝を求むるは易きも

難得有心郎  有心の郎を得るは難し

枕上潜垂涙  枕上 潜かに涙を垂れ

花間暗斷腸  花間 暗に腸を断つ

自能窺宋玉  自ら能く 宋玉を窺う

何必恨王昌  何ぞ必しも 王昌を恨まん

 

目を覚まし、高く上った日の光を羞じらい、思わす薄衣の袖で体を隠しました。日ごとに過ぎゆく春を自らの身に重ねて思うと哀しくなり、起きて化粧するのも物憂く思います。

どんなに高価な宝でも得ようと思えば得られますのに、真心を持って私のことを愛してくれる殿方はなかなかおりません。

夜はベッドの上でひとしれず涙にくれていますし、昼間は華やかな花の間にいても密かに断腸の思いで過ごしています。

私は貴方を宋玉のような立派な人と思い、自ら進んで身を捧げました。お別れした今でも他の人と一緒になっていればよかったなどとは思っていません。

 

宋玉:戦国時代、楚辞の代表的詩人。美男子だったらしい。

王昌:はっきりとは同定できない人物。 一般的に初恋の人として使われる名。

 

 

送別

 武漢で李億と別れたときの詩と思われる。魚玄機、二十歳のときと思われる。

 

水柔遂器知難定  水柔らかにして器を遂う 定め難きを知る

雲出無心肯再歸  雲出るに心無し 肯て再び帰らんや

惆悵春風楚江暮  惆悵す 春風 楚江の暮

鴛鴦一隻失群飛  鴛鴦一隻 群を失いて飛ぶ

 

「水は方円の器に従う」といいますが、女の私は貴方の言うままに従うしかなく、自分の意志で物事は決められません。一方、貴方は流れる雲のように淡々として、もう再び私のもとへと帰ってくることはないのでしょう。

春風吹くこの楚の河のほとりの夕暮れの中で、私は悲しみにひたる。川面にはおしどりが一羽、群れからはぐれて飛んでいる。ちょうど私のように。

 

 

寄子安

 これも前作と同様、李億(子安)と別れたときの詩であろう。

 

酔別千卮不浣愁  酔別 千卮(せんし)なるも 愁を浣(すす)がず

離腸百結解無由  離腸 百結して 解くに由無し

尢也歇帰春圃  尢磨iけいらん)銷歇(しょうけつ)して春圃に帰り

楊柳東西絆客舟  楊柳 東西 客舟を絆ぐ

聚散已悲雲不定  聚散 已に悲しむ 雲の定まらざるを

恩情須学水長流  恩情 須(すべか)らく学ぶべし 水の長(とこし)へに流るるを

有花時節知難遇  花有るの時節 遇い難きを知る

未肯厭厭酔玉楼  未だ肯(あ)えて 厭厭として 玉楼に酔わず

 

別れの杯、たとえ千杯飲もうとさびしさは洗い流せません。別れの悲しみにはらわたは百回も結ばれ、ほどくすべもありません。

美しい蘭の花も枯れた後はまた畑に帰されるように、私も憔悴した身で元の妓楼に帰り、川端の柳が行き交う舟を繋ぐように、毎日見知らぬ客の相手をする身となるのでしょう。

人の世の出会いと別れは悲しいことに雲のように風まかせ、でも愛情は長江の流れが永遠に続いているように変わらないものであるべきですのに。

来年の花の時節を一緒に迎えることは無いのでしょうね。そう思うと、この美しい楼で心静かにお酒を飲んで酔いしれる気にはなれません。

 

 

冬夜寄温飛卿 (冬夜 温飛卿に寄す)

 女道士となってから、詩の師匠である温庭筠に贈った詩。

 

苦思捜詩燈下吟  苦思 詩を捜して灯下に吟じ

不眠長夜怕寒衾  不眠の長夜 寒衾を怕る

満庭木葉愁風起  満庭の木葉 風の起るを愁い

透幌紗窗惜月沈  透幌の紗窓 月の沈むを惜む

疎散未閑終遂願  疎散 未だ閑ならざるも終に願いを遂ぐ

盛衰空見本来心  盛衰 空しく見る本来の心

幽棲莫定梧桐處  幽棲 定まる莫し 梧桐の処

暮雀啾啾空繞林  暮雀 啾啾 空しく林を繞る

 

苦心して詩の文句を考え、灯下に口ずさんでいます。物思いで眠られない長夜、薄い布団で寒さもひとしおです。

庭一面の落ち葉は風がたてるわびしい音を聞くのがつらく、紗を張った窓を通して入ってくる月の光は、月が沈んで真っ暗になるのがわびしく思います。

あの人とは別れてすっかり縁が切れたわけではないのですが、まあとにかく願い通り道士の生活に入りました。以前の華やかな生活と今のうらぶれた暮らしを通して自分の本来の心をぼんやりと見つめています。

こうして静かな暮らしには入ったのですが、本心は誰かと一緒になって主婦としての生活だったらなと思います。夕暮れの中、雀がチュンチュン啼きながら林の中をねぐらを捜して飛び回っていますが、ちょうど自分の身の上のようです。

 

 

 

参考図書

漢詩大系15 魚玄機・薛涛涛 辛島驍著 集英社

 

 

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