2007年07月

 

今月は杜甫の「三吏三別」と称される詩を紹介します。

安禄山の乱が終結して玄宗の次の粛宗の世になり、杜甫も官位は低いながらも、皇帝の側近として仕えるようになります。しかしそれも僅か半年で、政争のとばっちりを受けて地方の官吏に左遷されます。そこで出張の途上見た民衆の悲惨な姿を五言古詩にしました。「新安吏」「潼関吏」「石壕吏」の三吏と「新婚別」「垂老別」「無家別」の三別です。この「三吏三別」の傑作があることが杜甫の詩人としてどれだけ大きな深みを加えていることでしょう。私はこれらの詩を涙無くしては読めません。

 

壕吏           壕(せきごう)の吏

 

暮投壕邨 有吏夜捉人   暮に壕村に投ず  吏有り夜人を捉う

老翁踰墻走 老婦出門看   老翁墻を踰えて走り 老婦門を出でて看る

吏呼一何怒 婦啼一何苦   吏呼ばわること一に何怒れる  婦啼くこと一に何苦しめる

聴婦前致詞 三男鄴城戍   婦の前みて詞を致すを聴くに  三男は鄴城の戍りに

一男附書至 二男新戦死   一男書を附して至る 二男は新たに戦死せりと

存者且偸生 死者長已矣   存する者は且らく生を偸み 死せる者は長えに已むのみ

室中更無人 惟有乳下孫   室中更に人無く 惟乳下の孫有り

孫有母未去 出入無完裙   孫に母の未だ去らざる有るも 出入に完裙無し

老嫗力雖衰 請従吏夜帰   老嫗力衰えたりと雖も 請う吏に従って夜帰らん

急応河陽役 猶得備晨炊   急に河陽の役に応ぜば 猶お晨炊に備わることを得んと

夜久語声絶 如聞泣幽咽   夜久しくして語声絶え 泣いて幽咽するを聞くが如し

天明登前途 独与老翁別   天明前途に登るに 独り老翁と別

 

夕暮れどき壕村に泊まると、役人が夜に人を捉えようとしている。

宿のお爺さんが垣根を越えて逃げ出し、お婆さんが門の外に出て見つめている。

役人のなんと大声で怒っていることか。お婆さんのなんと苦しそうに泣いていることか。

おばあさんがすすみ出て役人に言うのを聞くと、三人の息子が鄴城のまもりに行っております。

そのうちの一人がひとに手紙をあずけて寄越しました。それによりますと二人の息子が近頃戦死いたしました。

生き残っている者もしばらくの間生を盗むように生きているだけですし、死んだ者はもうどうしようもありません。

家の中には誰もおりませんが、まだ乳離れしていない孫がおります。

孫にはまだこの家を去らない母がおりますが、出入りするにも満足なはかまとてございません。

このばばはもう力は衰えておりますが、お役人様のお供をして今夜参りましょう。

すぐに河陽の賦役に行きましたら、まだ朝のご飯炊きぐらいは出来ましょう。

夜が更けて話し声が途絶えたが、かすかに忍び泣きの声が聞こえたようだった。

明朝出発のときには、ただおじいさんと別れを告げただけであった。

 

 

 

垂老別           垂老の別れ

 

四郊未寧静 垂老不得安   四郊未だ寧静ならず 老いに垂(なんなん)として安らかなるを得ず

子孫陣亡尽 焉用身独完   子孫陣亡し尽し 焉(なん)身の独り完たきを用いん

投杖出門去 同行為辛酸   杖を投じて門を出でて去けば 同行 為に辛酸なり

幸有牙歯存 所悲骨髄乾   幸に牙歯の存する有るも 悲しむ所は骨髄の乾きなり

男児既介冑 長揖別上官   男児既に介冑し 長揖して上官に別

老妻臥路啼 歳暮衣裳単   老妻は路に臥して啼く 歳暮れて衣裳単なり

執知是死別 且復傷其寒   執(たれ)か知らん是死別なるを 且つ復其の寒からんことを傷む

此去必不帰 還聞勧加餐   此を去らば必ず帰らざるに 還た聞く加餐を勧むるを

土門壁甚堅 杏園度亦難   土門の壁甚だ堅し 杏園の度も亦難なり

勢異鄴城下 縦死時猶寛   勢は鄴城の下に異なり 縦死すとも時は猶寛ならん

人生有離合 豈択衰盛端   人生離合有り 豈に衰盛の端を択ばん

憶昔少壮日 遅廻竟長嘆   憶う昔 少壮の日 遅廻して竟に長嘆す

万国尽征戍 烽火被岡巒   万国尽く征戍 烽火岡巒を被う

積屍草木腥 流血川原丹   積屍 草木腥く 流血 川原丹し

何郷為楽土 安敢尚盤垣   何れの郷か楽土なる 安んぞ敢て尚盤垣せん

棄絶蓬室居 搨然摧肺肝   蓬室の居を棄絶して 搨然として肺肝を摧く

 

四方が戦乱で治まらないので、老いかかったこの身も安閑とはして居れない

子も孫もみな戦死した今、自分だけが身を全うしても致し方がない。

杖を投げ捨てて門を出て行くと、一緒に戦場へ出かけようとする仲間はわたしのために悲しんでくれる。

私には歯はまだ残っているが、悲しいことに骨髄が乾いてきている。

それでも、私は男児として甲冑を身につけ、役人に一礼して別れを告げる。

年老いた妻は路上に伏して鳴き声をあげる。見れば年の暮れなのに着物は単衣である。

これが死の別れだと誰が気付くだろうか、あとの残す妻の姿が寒々として痛ましい。

この後、二度と帰ることのない私に、妻は食事を多くとって養生するようにといって我が身を心配してくれる。

「土門の城壁は堅固だし、杏園の渡しも敵がおし渡るのは困難だろう。

これから征地の形勢は先の鄴城の戦とは違い有利だから、たとえ戦死するにしてもまだまだ先のことだろうよ。

人生には出会いと別れが必ずあり、それは老いと若きをえらばずやって来るのだから」と妻を慰める。

昔、若くて元気だった頃を思い、この地を立ち去りかねて思わずため息をつく。

天下は全て戦場となり、のろし火が丘や山をおおっており、

積み重なったしかばねで草木はなま臭く、流れる血で川や野原は赤く染まっている。

この地上の何処に安楽な郷があろうか、どうしてここでのんびりぶらついていることが出来よう。

蓬生の故郷の家を捨て去って征くのである。心乱れて、肺も肝も砕け散る思いである。

 

 

参考図書

杜詩 第三冊 鈴木虎雄・黒川洋一訳注 岩波文庫

 

 

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