2007年11月

袁枚−性霊説

 以前、王漁洋が神韻説を唱えたことを紹介しましたが、清も最盛期、乾隆帝の時代となり、「格調説」を唱える沈徳潜と「性霊説」を唱える袁枚が現れます。「格調説」とは、盛唐の詩を規範として宋元の詩を排斥し、詩の内容は儒教の教えに則るべきだとしました。一方、「性霊説」は感情のありのままの発露を詩に詠います。

両者は奇しくも同年の進士合格者ですが、沈徳潜が刻苦精励の末、67歳で及第したのに対し、袁枚は24歳で進士となりました。

 その後、沈徳潜は乾隆帝の愛顧をうけ、77歳で致仕するまで作詩の相手を勤め、97歳で死去するまで皇帝から特別の厚遇を受けました。

 一方、袁枚は若い地方官僚として手腕を発揮し人民から慕われますが、父の喪を期に40歳であっさりと官職を辞し、南京郊外に随園という邸宅を築いて、以後81歳で世を去るまで、悠々自適の生活を送ります。そして、同好の士ならば商人、労働者とも付き合い、女性の弟子も多くいました。趣味の広い人で彼の著した「随園食単」はフランスのブリア・サヴァランの「美味礼賛」と並ぶ料理書として知られています。

  「性霊説」では自分の感情の発露を詠いますので、難しい典故を知らなくても詩を作ることが出来、一般人にも人気を博したようです。江戸後期の詩も影響を受けているようです。

 袁枚の詩は以前にも紹介しております(2001.07, 2005.03)。

 

馬嵬

 

莫唱当年長恨歌  唱う莫れ 当年の長恨歌

人間亦自有銀河  人間 亦た自ら銀河有り

石壕村裏夫妻別  石壕村裏 夫妻の別れ

涙比長生殿上多  涙は長生殿上に比して多し

 

昔、白楽天が馬嵬駅で縊死した楊貴妃を思慕する玄宗の怨みを詠った「長恨歌」を今更歌わぬがよい。この世にも思い合う男女を引き離す天の川はあるのだ。

杜甫の「石壕吏」(2007.07)に詠われた石壕村の老夫婦の悲しい別離、そこで落とされた涙は玄宗が楊貴妃と比翼連理の誓いをした長生殿を思い起こして流した涙よりもずっと多いのだ。

 

 

夜過借園見主人坐月下吹笛

   夜、借園を過り、主人の月下に坐し笛を吹くを見る

 

秋夜訪秋士  秋夜 秋士を訪えば

先聞水上音  先ず聞く 水上の音

半天涼月色  半天 涼月の色

一笛酒人心  一笛 酒人の心

響遏碧雲近  響は遏(とど)む 碧雲の近きを

香伝紅藕深  香は伝う 紅藕の深きを

相逢清露下  相逢う 清露の下

流影湿衣襟  流影 衣襟を湿す

 

秋の夜、失意の中で逼塞している主人を訪れると、まず聞こえるのは水の上を伝わってくる笛の音。

空には秋の涼しい月の色、笛の音色は微醺の中にも愁い残る主人の心。

笛の響きは雲の行くのをも引き留め、仄かに伝わるのは赤い蓮の花の深い香り。

清らかな夜露の下で相逢う二人、月の光が衣をうるおすかのように降りそそぐ。

 

 

意有所得雑書数絶句  意(こころ)に得る所有り、数絶句を雑書す

 

莫説光陰去不還  説く莫れ 光陰は去って還らずと

少年情景在詩編  少年の情景 詩編に在り

灯痕酒影春宵夢  灯痕 酒影 春宵の夢

一度謳吟一宛然  一度 謳吟(おうぎん)すれば 一に宛然たり

 

光陰は過ぎ去れば二度と戻っては来ないなどと言うべきではない。若い頃の情景は昔作った詩の中に残っている。

灯の痕、酒の色も、春の夜の夢も、一度詩を吟ずればまた昔のまま眼前に浮かんでくる。

 

 

自嘲

 

小眠斎裡苦吟身  小眠斎裡 苦吟の身

纔過中年老亦新  纔に中年を過ぎ 老亦た新たなり

偶恋雲山忘故土  偶々 雲山を恋して 故土を忘れ

竟同猿鳥結芳隣  竟に 猿鳥と同じくして 芳隣を結ぶ

有官不仕偏尋楽  官有れども仕えず 偏に楽しみを尋ね

無子為名又買春  子無きを名と為して 又春を買う

自笑匡時好才調  自ら笑う 時を匡す 好才調

被天強派作詩人  天に強派(しい)られて 詩人と作るを

 

小眠斎のうちで苦吟するこの私、年はもう中年を過ぎてこれからは年々老いを新たにしてゆく。

偶々自然の風物に恋して故郷を忘れ、とうとう猿や鳥と良きお隣さんとなった。

官位は有るが仕官せずもっぱら快楽を求め、子供がないのを名目として又妾を入れてしまった。

自ら笑うべきなのは、本来時勢を正す優れた才能を持っているのに、天に無理矢理詩人にさせられてしまったことだ。

(中国語の本から取りましたので、読み下し、解釈に誤りがあるかもしれません。) 

 

 

参考図書

 元、明、清詩鑑賞辞典 銭仲連等選 上海辞書出版社

 清詩選 今関天彭選 漢詩大系 集英社

 中国名詩選(下) 松枝茂夫編 岩波文庫

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