2008年04月
江戸後期の詩人
以前にもちょっと書きましたが、江戸時代後期は大変漢詩が流行した時期で、多くの漢詩人が輩出し、また日本全国で数知れない趣味人が漢詩を作りました。江戸前期には荻生徂徠、新井白石、室鳩巣、服部南郭など専門は儒学で余技として漢詩を作った詩人が多かったのですが、後期に至ると詩の方が専門という詩人が現れるようになりました。
また前期には盛唐風の詩が流行しました。これらは格調は高いのですが、悲憤慷慨の気が強く、日本人の感性にピッタリとは言い難かったようです。
文化文政に至り、山本北山がこのような前期の詩を「偽唐詩」として却け、もっと現実的で日常を写実する宋代の詩を規範とすることを提唱しました。平易な語句を用いて、日常を清新の意をもって詠うという彼の主張は当時の中国で流行していた袁枚の「性霊説」とも相通じ、また当時勃興しつつあった庶民文化にも適い、たちまち日本の漢詩の主流となります。
私自身も、宋代以降の詩、江戸時代後期の詩人の詩が好きでこの場で紹介した詩も多くはそういったものでした。今月は今まで紹介しなかった江戸後期の詩人の詩を見てみましょう。
大窪詩仏 「春寒」
市河寛斎の江湖社にあって、柏木如亭、小島梅外、菊池五山と並んで四天王と目される。当時の持て囃されぶりは、以前にも紹介した。
寒食従今無幾日 寒食 今より 幾日も無し
梅花零落杏花開 梅花零落して 杏花開く
春寒醸雪力不足 春寒 雪を醸(かも)すも 力足らず
却向黄昏作雨来 却って黄昏に向いて 雨と作りて来る
大窪詩仏 「題不詳」
古松林裏聴蝉鳴 古松林裏 蝉鳴を聴く
先生先生先生声 先生先生先生の声
声声似把先生笑 声声 先生を把って 笑うに似たり
莫笑先生老遠行 笑う莫れ 先生の老いて 遠行するを
三十年来旧遊地 三十年来 旧遊の地
白首重来幾先生 白首 重ねて来るは 幾先生ぞ
紀州を旅しての作。蝉の声が先生と呼んでいるように聞こえるというユーモアに溢れた詩。
「シェンシャン、シェンシャン」と聞こえたのでしょう。
亀田鵬斎 「江月」
江戸市井の儒学者として、一般大衆から人気があった。
満江明月満天秋 満江の明月 満天の秋
一色江天万里流 一色の江天 万里に流る
半夜酒醒人不見 半夜 酒醒めて 人見えず
霜風蕭瑟荻蘆洲 霜風蕭瑟たり 荻蘆洲
菊池五山 「春暁」
江湖社の詩人。代々の儒者の家に生まれる。菊池寛の先祖。「五山堂詩話」という雑誌を発行し、全国の詩人からの投稿を掲載した。
黄袖眠足暖如煨 黄袖 眠り足りて 暖きこと煨(あぶ)るが如し
先覚満腔和気回 先ず覚ゆ 満腔に和気の回るを
枕上鐘伝寛永寺 枕上 鐘は伝う 寛永寺
此声一一度花来 此の声 一々 花を度りて来る
広瀬淡窓 「隈川雑咏」
九州日田の儒者。彼の開いた私塾「咸宜園」は全国から塾生が集まり、当時最も知られた学校であった。彼の七言絶句「桂林荘雑詠」は余りにも有名。
少女乗春倚画欄 少女 春に乗じて 画欄に倚る
哀箏何事向風弾 哀箏 何事か 風に向って弾ず
遊人停棹聴清唱 遊人 棹を停めて 清唱を聴く
不省軽舟流下灘 省みず 軽舟の流れて灘を下るを
隈川:日田市を流れる三隈川
参考図書:江戸後期の詩人たち(鴟?庵詩話) 富士川英郎 麦書房春雨