2008年05月

初夏の情景

 

劉禹錫 「烏衣巷」

 中唐の詩人。少壮官吏として、柳宗元らと政治改革を企てるが失敗して地方に流され、長い不遇の生活を送る。最後は大臣クラスにまで登っているので、地方官僚のまま死んだ柳宗元よりは恵まれていたでしょうか。

 題名の「烏衣巷」は南京市内の町の名で、昔東晋の時代には大貴族の屋敷が建ち並んでいた。

 

朱雀橋辺野草花  朱雀橋辺 野草の花

烏衣巷口夕陽斜  烏衣巷口 夕陽斜めなり

旧時王謝堂前燕  旧時 王謝堂前の燕

飛入尋常百姓家  飛んで尋常百姓の家に入る

 

ここ烏衣巷の入口にある朱雀橋の辺りには野の花が咲いていて、烏衣巷の入口はちょうど夕陽が斜めにさしている。

むかし東晋の時代には、王家や謝家の屋敷の前に巣をかけていただろう燕も、いまは普通の庶民の家の軒に飛び込んでいる。

 

 

司馬光 「初夏」

 子供の頃、大瓶に落ちて溺れた子を瓶を割って助けた話の主人公。詩人としてよりも北宋の政治家、歴史家として有名。政治家としては王安石に対抗する旧法党の代表者であり、また歴史書「資治通鑑」の著者でもある。

 

四月清和雨乍晴  四月 清和 雨乍(たちま)ち晴れ

南山当戸転分明  南山 戸に当って 転(うた)た分明

更無柳絮因風起  更に柳絮の風に因って起る無く

惟有葵花向日傾  惟だ葵花の日に向って傾く有り

 

旧暦四月、気候は爽やかであり、雨がさっと降ってもたちまち晴れ上がり、南の山が戸口からもはっきりと見える。

今はもう柳の綿が風に舞うこともなくなり、ただタチアオイが太陽の方に花を傾けているだけだ。

 

 

菅茶山 「挿田歌同諸子賦」

 少し長いのですが、菅茶山の田植えを詠った古詩を紹介しましょう。茶山の詩人としての力量のすごさがよく分る詩です。

 

林塢陰昏標有梅  林塢(りんお) 陰昏くして 標として梅有り

穉苗払払可移栽  穉苗 払払として 移し栽うべし

今年麦事未全畢  今年 麦事 未だ全くは畢らざるに

已被鳴禽苦死催  已に鳴禽に苦死して催さる

 

森の窪地の薄暗いところに、ぽとりと落ちた梅の実。小さい苗が風にさわさわとそよぎ田に移すのにちょうど良い時。

今年の麦刈りがまだすっかりは終わっていないのに、もう鳥の声に早く田植えをしろとせかされている心持ちだ。

 

昨雨今雨漲溢渠  昨雨 今雨 漲りて渠に溢れ

不消桔槹与踏車  桔槹(けっこう)と踏車を消(もち)いず

西疇東菑相呼応  西疇 東菑 相呼応し

碌碡縦横土如酥  碌碡(ろくどく) 縦横 土 酥(そ)の如し

 

昨日、今日の雨で水路は溢れるほどに漲っていて、はね釣瓶や踏み車も必要ない。

西や東の田圃で呼び交わして、鋤で縦横にかきならして土を牛乳のようにトロトロにする。

 

西家家僮数十口  西家の家僮 数十口

挙村聚救唯恐後  挙村 聚救 唯後を恐る

鼓鉦作節人作隊  鼓鉦 節を作し 人は隊を作す

須臾挿遍幾千畝  須臾 挿して遍し 幾千畝

 

西の屋敷では数十人の作男が駆り出され、村を挙げての応援も後のお返しが心配になるほど。

かね太鼓を打ち鳴らし、人は隊を組んで、あっという間に幾千畝の田植えがすんだ。

 

東舎孤孀寉様癯  東舎の孤孀 寉様(かくよう)に癯せ

藍褸満身委泥塗  藍褸 満身 泥塗に委ぬ

大児時抱啼児来  大児 時に啼児を抱いて来り

同蔭溝樹立乳哺  同(とも)に溝樹を蔭にして 立ちて乳を哺す

 

東の家のやもめは鶴のように痩せていて、ぼろに身をつつんで泥だらけ。

上の子が時々泣きやまぬ赤子を抱いてやって来て、一緒に畦の木陰に立ったまま乳をやっている。

 

野陰茫茫風景暮  野陰 茫茫として 風景暮れ

只聞謡声怨且慕  只聞く 謡声の怨み且つ慕うを

畔竹喧餉童還  畔(しはん) 竹喧(かまびす)しくして餉童(しどう)還り

津頭水鳴疲牛渡  津頭 水鳴って 疲牛渡る

 

茫茫と拡がる野に夕闇が迫り、ただ田植え歌の怨むようなまた慕いよるような声が聞こえる。

水をせき止めた畦の竹藪が鳴って、弁当を持ってきた子供が帰って行き、渡しでは水音を立てて疲れ切った牛が流れを渡ってゆく。

 

書生鹵奔事謡吟  書生 鹵奔(ろはん)にして 謡吟を事とし

摛藻何益徒苦心  摛藻(ちそう) 何の益あって 徒らに苦心す

誰知蓑唱嚶獰裡  誰か知る 蓑唱(さしょう)の嚶獰(えいどう)たる裡に

伝得豳風七月音  伝え得たる 豳風(ひんぷう)七月の音を

 

書生である私は農事をおろそかにして詩作にうつつをぬかし、何の益もない文学にいたずらに苦心している。

蓑笠つけた早乙女の爽やかな歌声の中に、中国理想郷の雰囲気(詩経・?風「七月」)を伝える響きがあることに誰が気づこうか。

 

参考図書 

 漢詩への誘い 季節を詠う(清明の巻) 石川忠久著 NHK出版

 漢詩歳時記 渡部英喜 新潮選書

 江戸時代田園漢詩選 池澤一郎著 農山漁村文化協会

 

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