1999年9月
 もう9月になってしまいました。今年の夏は、サイクリングこそ出来ましたが、山へはまだ登れず、十分な夏という感じはしませんでした。来年に期待します。
 さて、先月は男の友情という事で酒の詩でしたが、友情であれ、男女の愛情であれ、詩心がもっとも発露されるのは、別れのときでしょう。それで、今月は別離の詩。送別の宴では、詩の応酬が習慣でしたから、これも沢山あって、選択に迷いますが、まずは、最もポピュラーなものから。


王維「送元二使安西」
 送別の詩といえば、これを外すわけにはいかないでしょう。
 古来より、陽関三畳といわれ、中国でも詩の作れないやつは(?)、これを歌ったようです。歌い方は、終わりの三句を重ねて歌うとか、最後の一句を三回歌うとかいろいろ言われているようです。小生も、歓送会などでは、これで詩吟の真似事などを時々やりますが、稀にうけることがあります。

渭城朝雨浥輕塵  渭城の朝雨 軽塵を浥(うるお)す
客舎青青柳色新  客舎 青青 柳色新たなり
勸君更盡一杯酒  君に勧む 更に尽せ 一杯の酒
西出陽關無故人  西のかた陽関を出づれば 故人無からん



黄庭堅(山谷道人)「夜發分寧寄杜澗叟」

 蘇東坡と並び称せられる北宋の詩人。この詩自体がそれほどよい詩とは思いませんが、王維の詩との関連、また宋代の詩の特徴をよく現していると思いますので紹介します。ウィットに富んだというか、奇抜な詩の構成とともに、最後の句に擬人法が使われていますが、これらは宋代の詩によくみられる手法です。しかし、ここまで凝ると、面白いけれども少々やりすぎのような気がします。まあ、先に名句があると、後の人は苦労するという話。
 蘇・黄の名前が出てきたので、醒酔笑から笑い話を一つ。「才智のたらざるをばかえりみず、高慢したる体の者、和尚の席に詣でて、しきりに斎名をこふとき、「なんぢ、何事ぞ修行底の徳行ありや」とのたまえば、「さん候。東坡・山谷のやうにこそあるまじく候へ、凡そ詩聯句のみちにはくらからず。」と申す。和尚、にくき心とやおぼしけん、「めでたう候。さらば東坡の坡と、山谷の谷をとりあはせ、坡谷斎とよばん」となん。 そういえば、昔の「山と渓谷」のコラムに雲谷斎というペンネームがありました。

陽關一曲水東流  陽関の一曲 水は東に流る
燈火旌陽一釣舟   灯火 旌陽(せいよう) 一釣舟
我自只如常日醉   我は自(おのず)から 只 常日の醉の如し
満川風月替人愁   満川の風月 人に替って愁う

王維の別れの曲、川の水はただ東へと流れるのみ。灯火輝く旌陽の町から釣り舟に乗る。別れとはいえ、私はただいつもの通り酔うばかり。悲しんでいるのは、川面に溢れる風と月。



李白「黄鶴楼送孟浩然之広陵」
 またまたポピュラーな詩で申し訳ありません。これまた、小生の大好きな詩です。前の黄庭堅の詩と比べると、唐宋の違いがはっきり出ているような気がします。この雄大さは、李白ならではのものでしょうが、小細工を弄さずグイグイと押してくるのは、まさに気持ちのよい横綱相撲のようです。

故人西辭黄鶴樓  故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州  煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空盡  孤帆の遠影 碧空に尽き
唯見長江天際流  唯見る 長江の天際に流るるを

煙花三月:花霞たつ三月



王昌齢「芙蓉楼送辛漸」
 三首で止めて置こうと思ったのですが、別れの詩でこれを割愛するのは残念なので追加します。この詩はまさに第四句一行をもって、後世に残ったといえるでしょう。王昌齢は辺境の詩人として、絶句に多くの名作を残しています。

寒雨連江夜入呉  寒雨 江に連なりて 夜 呉に入る
平明送客楚山孤  平明 客を送れば 楚山 孤なり
洛陽親友如相問  洛陽の親友 如(も)し相問わば
一片氷心在玉壷  一片の氷心 玉壷に在りと

冷たい雨が長江に降り注ぐ中、夜になって呉の地へとやってきた。明け方、君を見送れば、楚の地の山がポツンと一つ浮かんでいる。洛陽の親友がもし私のことを訊ねたなら、私の心は玉の壷に入った一片の氷のように清らかだと答えてくれたまえ。


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