1999年10月
先月は、送別の詩を紹介しましたので、今回は再会をテーマにとも思いましたが、秋たけなわとなってきましたので、やはり秋の詩がぴったりと思いました。


王績「野望」
隋末から初唐の人で、この詩のはじめに出てくる黄河のほとり、東皐に隠棲して東皐子と号した。家の周りに黍を植えて、春秋には酒を造り、易経、老子、荘子だけを座右において、自由な生活を送ったそうな。秋の夕暮れを美しく歌って、一幅の絵画を見ているようですね。

東皐薄暮望  東皐(とうこう) 薄暮に望み
徙倚欲何依  徙倚(しき)して何(いずこ)に依らんと欲す
樹樹皆秋色  樹樹 皆 秋色
山山唯落暉  山山 唯 落暉
牧人驅犢返  牧人 犢(こうし)を駆って返り
獵馬帶禽歸  獵馬 禽(とり)を帯びて帰る
相顧無相識  相顧みて 相識 無く
長歌懐采薇  長歌して 采薇(さいび)を懐う

夕暮れ、東の丘に登り、あてどもなくさまよう。木々は皆秋の紅葉、山々には夕陽。牧人…、猟馬…。辺りを見回しても知り合いはなく、ただ、声を長く引いて歌い、昔、ワラビを摘んだ伯夷、叔斉のことを思うのである。


杜甫「登高」
やっと、杜甫がでました。杜甫といえば、格調の高い律詩ということになりますが、その境涯を歌ったものは、悲痛な調べが強すぎて、読んでいるこちらまで苦しくなるような気がします。この詩も、その通りです。全て、対句で構成されており、荘重な調べです。登高とは、元来、重陽の節句(旧暦九月九日)に家族、兄弟、友人など親しい人たちと岡に登って、宴会をする楽しい行事で、ピクニックのようなものですが、この「登高」の情景は凄愴の一語に尽きるではありませんか。長江上流、三峡は猿の鳴声で有名で、この辺を歌った詩には定番のように出てきます。また、この声は中国では悲しみの代名詞的に使われます。

風急天高猿嘯哀   風は急に天高くして 猿の嘯くこと哀し
渚清沙白鳥飛廻  渚清く沙白くして 鳥 飛び廻る
無邊落木蕭蕭下   無辺の落木 蕭蕭として下り
不盡長江滾滾來  不尽の長江 滾滾(こんこん)として来たる
萬里悲秋常作客  万里 悲秋 常に客と作(な)り
百年多病獨登臺   百年 多病 独り台に登る
艱難苦恨繁霜鬢   艱難(かんなん)苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢(びん)
潦倒新停濁酒盃   潦倒(ろうとう)新たに停(とど)む 濁酒の盃

風は急…、渚清く…。見渡す限り枯葉が寂しい音を立てながら舞い落ち、尽きることなく長江の水が滾々とと流れてくる。故郷を離れ、万里を旅してきたが、いつも漂泊の人としての悲しい秋であり、生涯多病で、今日のよき日にもたった一人で高台に登らざるを得ないのだ。長年の苦労は悲しいことに鬢の毛をすっかり白くし、落ちさらばえた身は、好きな酒さえ断たねばならなくなった。



杜牧「山行」
今回はあまり有名な詩が入っていませんので、これを入れました。杜牧は、唐でもだいぶ時代の下った晩唐を代表する詩人です。日本では、この詩や、「千里鶯啼緑映紅」で始まる詩のような叙景の詩が人口に膾炙していますが、唐の衰退を愁う愛国詩人でもあります。この詩については解説の要なしですが、大峰山前鬼の宿坊の座敷にこの詩の額が掛かっています。だいぶ古いものの様で、誰が書いたのか解りませんが、奔放な書風でいつも面白く眺めています。それから、汾酒の瓶に書かれている「借問酒家何処在、牧童遥指杏花村」の句は、一般に杜牧の詩として知られていますが、どうも怪しいようです。

遠上寒山石徑斜  遠く寒山に上れば 石径 斜なり
白雲生處有人家  白雲生ずる処 人家有り
停車坐愛楓林晩  車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩
霜葉紅於二月花  霜葉は二月の花よりも紅なり

坐:なんとなく  二月花:新暦では三月。赤い花とは何でしょうか? 梅? 桃?



王禹偁  「村行」
宋初の人で、文章でも有名らしいが、よく知らない人です。しかし、この詩の中の二連の対句があまりに見事なので、感心してすぐに暗記してしまいました。

馬穿山徑竹初黄  馬は山径を穿ちて 竹初めて黄なり
信馬悠悠野興長  馬に信(まか)せて 悠悠 野興長し
萬壑有聲含晩籟  万壑(ばんがく) 声有って 晩籟(ばんらい)を含み
數峯無語立斜陽  数峯 語無く 斜陽に立つ
棠梨葉落胭脂色  棠梨(とうり) 葉落ちて 胭脂(えんじ)の色 
蕎麦花開白雪香  蕎麦(きょうばく) 花開いて 白雪 香ばし
何事吟餘忽惆悵  何事ぞ 吟余 忽ち 惆悵(ちゅうちょう)たる
村橋原樹似吾郷  村橋 原樹 吾が郷に似たり

萬壑:無数の谷  晩籟:夕暮れのざわめき  棠梨:からなし  


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