2010年2月 

獄中吟

 今月は囚われの身となった詩人達の心境を詠った詩を集めてみました。

 

王維 「菩提寺禁裴迪来相看説逆賊等凝碧池上作音楽供奉人等挙声便一時涙下私成口号示裴迪」

  (菩提寺の禁に裴迪来りて相看て説く。逆賊等、凝碧池上に音楽を作す。供奉人等声を挙ぐるに、便ち一時に涙下ると。私に口号を成し、裴迪に示す

 

万戸傷心生野煙  万戸 傷心 野煙を生ず

百官何日更朝天  百官 何れの日か 更に天に朝せん

槐葉落空宮裏  槐 葉は落つ 空宮の裏

凝碧池頭奏管弦  凝碧池頭 管弦を奏す

 

(菩提寺の監獄に友人の裴迪が見舞いに来て話した。逆賊達が凝碧池のほとりで音楽を楽しんだ。楽人達が歌声を挙げると、どっと涙が出てきたよ。それで、ひそかに即興で詩を作って彼に示した。)

民衆の悲しみを示すかのように野に煙が上がっている。官僚達は何時になったら再び朝廷に参上できるのだろうか。

秋になりエンジュの葉がひっそりとした宮殿の庭に落ち、凝碧池のほとりでは管絃を奏でる声が聞こえてくる。

 

王維は安禄山の乱で捕らえられ、彼が開いた朝廷の官職強制的に就けさせられた。乱平定後処分されようとしたとき、この詩が皇帝の耳に入り、名目的な処分にとどまったといわれる。

 

 

蘇軾 「予以事繋御史台獄獄吏稍見侵自度不能堪死獄中不得一別子由故作二詩授獄卒梁成以遺子由」

(予、事を以って御史台の獄に繋がる。獄吏、稍侵さる。自ら度るに堪うること能わず獄中に死して、子由と一別することを得じと。故に二詩を作り獄卒の梁成に授け、以って子由に遺る)

 

其一

聖主如天万物春  聖主 天の如く 万物 春なるに

小臣愚暗自亡身  小臣 愚暗にして 自ら身を亡ぼす

百年未満先償債  百年 未だ満たざるに 先ず債を償い

十口無帰更累人  十口 帰するところ無く 更に人を累せん

是処青山可埋骨  是(いた)る処の青山 骨を埋む可し

他年夜雨独傷神  他年の夜雨 独り神を傷(いた)ましめん

与君世世為兄弟  君と 世世 兄弟と為りて

又結来生未了因  又 来生 未了の因を結ばん

 

(私はさる事件で御史台の監獄に入れられた。獄吏は強制されて私を過酷に扱った。考えるにこれは堪えることが出来なく、獄中で死ぬことになり、弟の子由(蘇轍)に別れを告げることは出来そうにない。そこで二つの詩を作り、獄卒の梁成に託して弟に送ることにする)

 

清明なる天子の徳は天のようにあまねく、万物に春のように施されるのに、私は愚かにもみずから身を亡ぼすこととなった。

天に与えられた寿命を全うすることもなく、前世の罪業を償わねばならぬ。十人の家族は寄る辺を失い君を煩わすこととなるだろう。

何処の青山(墓所)であれ、私の骨を埋めることは出来るが、この後君は独り夜の雨を聞きながら心を痛めなければならぬ。

君とは何度生まれ変わっても兄弟となって、この世で尽くせなかったえにしを来世で結ぼうではないか。

 

200112月に掲載した詩でも述べましたが、蘇軾は政敵の策謀によって、弾劾を受け獄に繋がれます。この時は、楽天的な彼もさすがに死を覚悟したようです。以前に紹介した詩は出獄したときに詠ったものですが、この詩と同じ韻を用いています(次韻)。それにしても、深い兄弟の情愛には感動します。

 

 

胡志明 「秋夜」

 

門前衛士執槍立  門前の衛士 槍を執りて立ち

天上残雲帯月飛  天上の残雲 月を帯びて飛ぶ

木虱縦横如担克  木虱(ぼくしつ)縦横 担克(タンク)の如く

蚊虫聚散似飛機  蚊虫(ぶんちゅう)聚散 飛機に似たり

心懐故国千塘路  心は故国千塘の路を懐い

夢繞新愁万縷糸  夢は新愁万縷の糸を繞(めぐ)らす

無罪而囚已一載  罪無くして囚わるること 已に一載

老夫和泪写囚詩  老夫 泪(なみだ)と和(とも)に 囚詩を写す

 

監獄の衛兵は銃を持って立ち、天上のちぎれ雲は月の光を受けて流れゆく。

ダニは縦横に這い回ってまるで戦車の様だし、蚊はブンブンと飛び回り戦闘機のように私を攻撃する。

心は故国へと繋がる千里の道を想い、吾が夢は湧き起こる愁いのために乱れる長い糸の様である。

罪もなく囚われ人となって已に一年、年老いた男は涙と共に囚われの詩を作るのだ。

 

胡志明とはベトナムのホーチミンのことです。ベトナムの人名、地名は漢字に由来しています。例えばハノイは河内ですし、ベトナムは越南でしょう。この地域は中国の版図に組み入れられた時期もあり、漢字文化圏でした。従って、当時のベトナムの知識人は漢文の教育を受けていたのでしょう。

ホーチミンは若くして反植民地闘争に参加し、ベトミン(越盟)を創設した。1942年、重慶の国民党指導者に面会すべく、中国に赴くが、国民党政府によって囚われ一年あまりにわたって広西省内の監獄を転々としながら、監禁され続ける。彼はこの間に130首あまりの詩を作り、手帳に書き置いた。これが「獄中日記」である。

 

 

頼 鴨香@「過函嶺」

 

当年意気欲凌雲  当年の意気 雲を凌(しの)がんと欲す

快馬東馳不見山  快馬 東に馳せて 山を見ず

今日危途春雨冷  今日 危途 春雨冷かなり

檻車揺夢過函関  檻車(らんしゃ) 夢を揺(うごか)して 函関を過ぐ

 

思えば昔、若いとき江戸へ遊学のときは意気は雲をも凌がんばかりに高く、早足の馬は東へと馳せて、箱根の山などは目にも入らなかった。

しかし今日、箱根の険しい道には冷たい春の雨が降っており、囚われの身である私は檻の車(とうまる籠?)の中で夢を揺られながら再び越すことのない箱根の関を過ぎるのだ。

 

作者は頼山陽の子で通称三樹三郎。尊皇攘夷の志士として活躍していたが、安政の大獄で京都で囚われ、江戸に送られ、安政六年吉田松陰、橋本左内らと共に江戸で処刑された。

 

参考図書

 王維詩集 小川環樹他選 岩波文庫

 蘇東坡詩選 小川環樹・山本和義選訳 岩波文庫

 漢詩を読む(嶺南の巻) 石川忠久著 NHK出版

 日本百人一詩 土屋久泰著 砂子屋書房 

Homepageへ戻る