2010年5月
明治政治家の教養 榎本武揚の詩
先日、「榎本武揚 シベリア日記」(平凡社ライブラリー:諏訪部揚子・中村喜和編注)を読みました。これは榎本がロシア公使の任を終え、サンクト・ペテルブルグからシベリアを経由して日本へ帰国したときの日記で、なかなか興味深いものがありました。その中に即興的に詠まれた漢詩が何首かありましたので、いくつか紹介します。
榎本は幕臣の子として昌平坂学問所に学び、秀才の誉れが高かったようです。そうした若いときの漢学の素養が、旅の途中で辞書を引くこともなく即興的に漢詩が作れることを可能にしたのでしょう。
詩自体はそれほど優れたものという気はしないし、もっと優れた詩を残している明治の政治家もいるでしょうが、明治の教養人が感興の表現として漢詩を使っているのは面白いと思います。
奉使星槎万里還 使を奉じて 星槎 万里還る
西望烏嶺白雲間 西のかた 烏嶺を望めど 白雲の間
一条官道坦如砥 一条の官道 坦なること砥の如し
屈指三旬不見山 指を屈して 三旬 山を見ず
星槎:大きな筏、この場合は彼が使った交通手段、汽車・馬車・汽船のことであろう。
烏嶺:ウラル山脈
漠漠曠原落眼辺 漠漠たる曠原 眼辺に落つ
更無風景逐居遷 更に風景の居を逐うて遷る無し
聞説三旬天不雨 聞説(きくならく)三旬 天 雨ふらずと
馬蹄所過如砲煙 馬蹄 過ぐる所 砲煙の如し
涅陳城外雪花飛 涅陳(ネッチン)城外 雪花飛び
満目山河秋已非 満目の山河 秋已に非なり
明日黒竜江畔路 明日 黒竜江畔の路
長流与我共東帰 長流 我と共に東帰す
涅陳:ネルチンスク