2010年6月
幕末の詩人 友野霞舟
江戸時代後期の江戸漢詩界は市河寛斎の興した江湖社に拠った市井の詩人たちによる宋代以降の詩風が流行しましたが、それ以外にも幕臣・儒者を中心とする高踏的な詩人群がいたようですが、多くは現在忘れ去られた状態です。
そういった中に友野霞舟(1791−1845)がいます。彼は御家人の家に生まれ、昌平坂学問所で教授をする儒者でした。以下に紹介する詩は彼の2、30代の頃の詩で、霞舟吟巻からとったものです。ご覧のように温雅で穏やかな詩風ですが、聊か観念的で面白味に欠けると言えましょうか。上手なのでしょうが、心を打つものがあまりないようです。
閑居即事
物候連三月 物候 三月連なり
閑居向十年 閑居 十年に向(なんなん)とす
有来唯野叟 来ること有るは 唯野叟
無事即真仙 事無きは 即ち真仙
室窄纔容膝 室は窄(せま)くして 纔(わずか)に膝を容れ
牆卑不及肩 牆は卑(ひく)くして 肩に及ばず
白雲分半榻 白雲と半榻を分ち
長対碧山眠 長く碧山に対して眠る
万物は三ヶ月という季節を次第に移り変わり、私は此の地に閑居して十年になろうとしている。
尋ねてくるのは村の年寄りだけだが、こうやって無事に過ごせているのはまあ仙人といってもいいだろう。
部屋は狭くて膝を入れることが出来るだけだし、垣根は低くて肩にも及ばないような家。
長椅子を白雲と半分わけにして、長い間のんびりと緑の山と向かい合って昼寝をする。
池辺趁涼
趁涼閑繞曲池行 涼を趁(お)いて 閑に曲池を繞りて行く
雨後微風度竹清 雨後の微風 竹を度りて清し
瞑色看看籠遠岸 瞑色 看る看る 遠岸を籠め
紅蓮漸暗白蓮明 紅蓮は漸く暗く 白蓮は明るし
涼しさを求めて、曲がりくねった池の辺を繞って行けば、雨の後のそよ風が竹林を渡ってきて清々しい。
夕暮れ時の薄暗さがみるみる池の対岸を包み込み、池の紅蓮は暗く沈み込んできたが、白蓮は却って明るさを増したようだ。
送植木子健上番二条城
暫向酔中軽別離 暫く酔中に向(お)いて 別離を軽んず
江楼懶折緑楊枝 江楼 懶く折る 緑楊の枝
酒醒初識前程遠 酒醒めて 初めて識る 前程の遠きを
堕涙橋頭分手時 堕涙橋頭 手を分つ時
堕涙橋在品川駅南 堕涙橋は品川駅の南に在り
酒に酔って別れといってもしばらくの間だけさと軽く言い、海に面した料理屋で別れの宴(柳を折るのは別離の象徴)。
しかし酔いから醒めてみると、京都は遠いなあとしみじみ感じる。「なみだ橋」のたもとで君ともうお別れをしなければならぬ。
植木子健:幕府大番与力 狂詩作者半可山人(2004.03参照)
煙火戯
掣電流光破霧騰 掣電 流光 霧を破って騰り
玉家火戯挙都称 玉家の火戯 都を挙げて称す
迸空星落三千点 空に迸(はし)りて星は落つ三千点
焼浪龍銜十二灯 浪を焼きて龍は銜む十二灯(仕掛け花火の形容)
淡月楼頭簾競捲 淡月 楼頭 簾は競いて捲き
涼風江上檻争? 涼風 江上 檻に争いて?る
請看変幻機関妙 請う看よ 変幻 機関の妙
五色雲中架紫藤 五色の雲中 紫藤を架く
参考図書
新日本古典文学大系 64 日野龍夫・揖斐高・水田紀久校注 岩波書店明治政治家の教養 榎本武揚の詩