2011年3月
祇園南海
今月は江戸前期の詩人、祇園南海の詩を紹介します。
南海は紀州藩儒者の家に生まれ(1676)、14歳で木下順庵の門に入ります。当時の順庵の門には新井白石、雨森芳洲などの優れた先輩がいて彼らの影響を受けながら才能を伸ばしていったようです。
20歳過ぎに父の死により、和歌山に帰り儒者としての仕事に就きますが、何か問題があり25歳の時、知行召し上げ和歌山城下追放処分を受けます。35歳のとき、新井白石らの尽力により、徳川頼方(吉宗)によって赦されます。その後は大過なく一生を送ったようです。
彼の詩は、若い頃は唐詩の模倣で上手いけれども威勢のいい詩が多いようです。しかし追放されてからは深みが増した詩を書いています。
邨居積雨 邨居積雨
独坐青樽誰共同 独り坐して 青樽 誰と共ともにか同じくせん
夏山滴翠石榴紅 夏山の滴翠 石榴紅なり
邨家燕乳麦秋後 邨家 燕は乳す 麦秋の後
田水蛙鳴梅雨中 田水 蛙は鳴く 梅雨の中
詩与窮愁如有約 詩は窮愁と約有るが如く
薬於貧病竟無功 薬は貧病に於て竟に功無し
柴門客少旬空浹 柴門 客は少なし 旬空しく浹(めぐ)り
添得莓苔半径濃 添え得たり 莓苔の半径に濃きを
独り座っていて、目の前の酒樽も一緒に飲む相手もいない。夏山の滴る翠は石榴の紅と映えあい鮮やかである。
麦秋を過ぎたこの頃は村の家の燕も雛を育てるのに忙しい。田の水では蛙が鳴いている梅雨時となった。
詩というものは困窮とまるで約束してあったかのように寄り添い合い、我が身から離れることはない。また薬は貧困という病には役立つことはない。
我が家の柴の門には十日あまりも客が訪れることもなく、とうとう庭の小径の半ばを覆う緑の苔の色が益々濃くなってきた。
乙酉試筆
非農非賈又非隠 農に非ず賈に非ず 又隠に非ず
独作太平遊惰民 独り作す 太平 遊惰の民
鏡裏鬢毛歳歳改 鏡裏の鬢毛 歳歳改まり
眼中風物村村春 眼中の風物 村村春なり
学耕只恐耽詩懶 耕を学んでは 只詩に耽りて懶なるを恐れ
売薬応因沽酒貧 薬を売るは 応に酒を沽いて貧なるに因るなるべし
高日三竿眠未覚 高日 三竿 眠未だ覚めず
今朝猶是去年人 今朝 猶是 去年の人
農民でなく商人でもなく、さりとて隠者というわけでもない。ただこの太平の世の怠け者に過ぎない。
鏡の中の鬢の毛は年々白く変わってゆくが、目に映る景色はどの村も毎年変わることのない春景色である。
畑仕事を習っているがつい詩作に夢中になっておろそかになるのが心配だ。薬を売っているのは酒を買うので金がなくなるためである。
もう日は三竿の高さまで上がっているがまだ眠りからさめきれない。今朝はもう新年だが私はまだ去年の人というわけだ。
参考図書
江戸詩人選集 第三巻 山本和義・横山弘注 岩波書店