2011年4月
春雨
杜牧 「清明」
杜牧の詩として大変良く知られていますが、杜牧の正式の詩集には載せられていません。本当に杜牧の詩かどうかちょっと疑問が残ります。
清明時節雨紛紛 清明の時節 雨紛紛
路上行人欲断魂 路上の行人 魂を断たんと欲す
借問酒家何処在 借問す 酒家は何処にか在ると
牧童遙指杏花村 牧童 遙かに指す 杏花の村
清明の時節(旧暦三月初め)は雨が紛紛と降る。道行く旅人は侘びしさに魂も絶えなんばかり。
ちょっと聞くが居酒屋は何処にあるかね? 牛飼いの子供は遙か彼方の杏の花咲く村を指さした。
蘇軾 「寒食雨」二首 其の一
蘇軾は御史台の獄(烏台詩案)(2001.12、2010.02)から赦された後、黄州に流刑になります。ここで四年間貧困の生活を送ります。蘇軾自筆の「黄州寒食詩巻」(台北故宮博物院蔵)は古今の名筆として、詩よりも書の方で有名です。
自我来黄州 我 黄州に来りてより
已過三寒食 已に三たびの寒食を過せり
年年欲惜春 年年 春を惜まんと欲するも
春去不容惜 春去って 惜むを容(ゆる)さず
今年又苦雨 今年 又 苦雨
両月秋蕭瑟 両月 秋のごとく蕭瑟たり
臥聞海棠花 臥して聞く 海棠の花の
泥汚燕脂雪 泥に燕脂の雪を汚さるるを
闇中偸負去 闇中に偸みて負いて去る
夜半真有力 夜半に真に力有るもののあり
何殊病少年 何ぞ殊(こと)ならんや 病少年の
病起頭已白 病より起てば 頭 已に白きに
私が黄州に来てから、もう三回目の寒食の時節を迎える。
毎年春の去るのを惜しもうとするが、春はつれなく去ってゆく。
今年はまた長雨が続き、この二月は秋のようにもの寂しい。
寝ながら聞く雨の音に、海棠の花の臙脂に染まる雪の肌も泥に汚されるのが眼に見えるようだ。
この春を心ゆくまで楽しめるようになる日までどこかに隠しておきたいものだが、真夜中の暗闇にこっそりと背負って持って行く大力のものが現れそうだ。
こうして年年この地で春を送っていては、病気の少年がやっと病床を離れられたときは、もう頭が白くなっていたと云うようなものではないか。
(最後の四句は解釈が難しいですね)
袁枚 「雨中送春」
東風吹雨洒雕輪 東風 雨を吹いて 雕輪を洒(あら)う
楊柳依依欲断魂 楊柳 依依 魂を断たんと欲す
真個送春如送客 真個(しんこ) 春を送るは客を送るが如し
満山花草有啼痕 満山の花草 啼痕有り
東からの春風が雨をもたらし、飾りの付いた車輪を洗っている。柳の枝はしなやかに揺れて、魂を絶たれんばかりの風情である。
本当に春を送るのは客の旅立ちを見送るのに似ている。山に満ちている花も雨に濡れて涙の痕をとどめている。
参考図書
杜牧詩選 松浦友久・植木久行編訳 岩波文庫
漢詩歳時記 黒川洋一他編 同朋舎
中国の名詩鑑賞 10 村山吉広編 明治書院