蘇軾、陸游の一月
小生の敬愛する北宋の蘇軾、南宋の陸游の正月の詩を紹介します。正月といっても旧暦ですから新暦では2月なんでしょうが。
蘇軾 「正月二十一日病後述古邀往城外尋春」
(正月二十一日病後、述古 邀(むか)えて城外に往き 春を尋ぬ)
屋上山禽苦喚人 屋上の山禽 苦(ねんご)ろに人を喚び
檻前氷沼忽生鱗 檻前の氷沼 忽ち鱗を生ず
老来厭逐紅裙酔 老来 紅裙を逐いて酔ようことを厭い
病起空驚白髪新 病より起き 空しく驚く 白髪の新たなるに
臥聴使君鳴鼓角 臥して 使君の鼓角を鳴せるを聴き
試呼稚子整冠巾 試みに稚子を呼びて 冠巾を整えしむ
曲欄幽榭終寒窘 曲欄 幽榭 終に寒窘(かんきん)なり
一看郊原浩蕩春 一たび看ん 郊原 浩蕩の春を
屋根の上には野鳥が来て、しきりに鳴いて人を呼ぶ。柵の向うの凍った沼ももう融けて鱗のようなさざ波が立っている。
年寄りには芸妓相手に酒を飲むのは厭きたし、病み上がりで、また増えた白髪に驚かされる。
寝床で知事閣下の太鼓や笛の音を聴いて、子どもを呼んで礼服の支度をさせる。
庭の欄干や水辺の建物は貧相で狭苦しい。やっぱり郊外へ出て広く明るい春の景色を眺めよう。
述古:杭州の知事、彼に誘われて郊外へ春景色を楽しみに出かけたときの詩(蘇軾38歳)
蘇軾の律詩は、対句が法に適っているかというとちょっと首をかしげますが、彼はそういうことはあまり気にせず興の赴くままに作っていたのでしょう。
陸游 「正月五日出郊至金石臺」
漸老惜時節 漸く老いて 時節を惜しみ
斯遊那可忘 斯の遊び 那んぞ 忘る可けんや
雪晴天浅碧 雪晴れて 天は浅碧
春動柳軽黄 春動いて 柳は軽黄
笑語寛衰疾 笑語すれば 衰疾を寛(ゆるや)かにし
登臨到夕陽 登臨して 夕陽に到る
未須催野渡 未だ須いず 野渡を催すを
聊欲拠胡床 聊か胡床に拠らんと欲す
次第に歳をとって、時節の移り変わりを惜しむようになった。そんな私がこのような遊びをどうして忘れられようか。
雪が止んだ空は浅い碧色、春の気配がして柳は軽い黄色。
冗談を言い合っていると老いや病を忘れて気分が軽くなり、高みに登って夕陽となるまで楽しんでいる。
まだ野の渡し場へと急ぐ気にはならず、もう暫くは床几に腰掛けていたいのだ。
陸游56歳の正月、江西省撫州での作。
参考図書
新修 中国詩人選集 蘇軾 小川環樹注 岩波書店
陸游詩選 一海知義編 岩波文庫