与謝蕪村は漢詩を日常的に作っていたわけではないでしょうが、南画という中国伝統の絵画を専門としていたからには、漢詩文に対する素養を多かれ少なかれ持っていたことは疑いないでしょう。事実、彼の俳句においても漢学の片鱗がうかがい知れるといわれています。

今回、紹介するのは蕪村の俳句と漢詩が混じった連作です。その内容に関しては序文に述べられています。さてその中に入れられた五言の詩ですが、楽府体とされているように五言古詩の範疇に入り、韻は踏まれていますが平仄はあまり気にせず作られています。また、個々の詩を独立して鑑賞するには苦しく、全体の流れの一部分として存在するものでしょう。楽府体といえば、当時の民衆に歌われた民謡であり、素朴な感情の表現が我々の心を打つものですし、また全体の流れの中で読んでゆくとさすが蕪村といった嫋やかな風情が溢れていると思われます。

 

余一日問耆老於故園。渡澱水過馬堤。偶逢女帰省郷者。先後行数里。相顧語。容姿嬋娟。癡情可憐。因製歌曲十八首。代女述意。題曰春風馬堤曲。

(余一日、耆老を故園に問う。澱水を渡り馬堤を過る。偶、女の郷に帰省する者に逢う。先後して行くこと数里。相顧みて語る。容姿嬋娟。癡情憐むべし。因りて歌曲十八首を製し、女に代りて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰う。)

 私は、知り合いの老人を訪ねて故郷に帰りました。淀川を渡り毛馬の堤を歩いていると、偶々故郷へ帰省途中の娘さんと出会いました。先になり後になりして数里歩いて行き、振り返っては話をしました。彼女の容姿は美しく、あだっぽさは心惹かれるものがありました。そこで十八首の歌を作り、彼女に替わってその思いを詠ってみました。

 

春風馬堤ノ曲 十八首  謝蕪村

 

やぶ入りや浪花を出て長柄川

 

春風や堤長うして家遠し

 

堤下摘芳草  荊与棘塞路   堤ヨリ下リテ芳草ヲ摘メバ  荊ト棘ト路ヲ塞グ

荊棘何妬情  裂裙且傷股   荊棘何ゾ妬情ナル  裙ヲ裂キ且ツ股ヲ傷ツク

 

渓流石点々  踏石撮香芹   渓流石点々  石ヲ踏ンデ香芹ヲ撮ル   

多謝水上石  教儂不沾裙   多謝ス水上ノ石  儂ヲシテ裙ヲ沾サザラ教ム

 

一軒の茶見世の柳老いにけり

 

茶店の老婆子儂を見て慇懃に

無恙を賀し且儂が春衣を美

 

店中有二客  能解江南語   店中二客有リ  能ク江南ノ語ヲ解ス

酒銭擲三緡  迎我譲榻去   酒銭三緡ヲ擲チ  我ヲ迎ヘ榻ヲ譲ツテ去ル

 

古駅三両家猫児妻を呼妻来らず

 

呼雛籬外鶏  籬外草満地   雛ヲ呼ブ籬外ノ鶏  籬外草地ニ満ツ

雛飛欲越籬  籬高堕三四   雛飛ビテ籬ヲ越エント欲ス  籬高クシテ堕ツルコト三四

                     

春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ

 

たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に

三々は白し記得す去年此路よりす

 

憐みとる蒲公茎短して乳を浥

 

むかしむかししきりにおもふ慈母の恩

慈母の懐袍別に春あり

 

春あり成長して浪花にあり

梅は白し浪花橋辺財主の家

春情まなび得たり浪花風流

 

郷を辞し弟に負く身三春 

本をわすれ末を取接木の梅

 

故郷春深し行々て又行々

楊柳長堤道漸くくだれり

 

矯首はじめて見る故園の家黄昏

戸に倚る白髪の人弟を抱き我を待春又春

 

君不見古人太祗が句

 藪入の寝るやひとりの親の側

 

参考図書

 新潮日本古典集成 與謝蕪村集 清水孝之校注 

 

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