杜甫 秋
 秋と言えばやはり杜甫の律詩ですね。秋興八首のいくつかは既に紹介済みですが、どれを読んでも澄み切った秋の気配と、その中での悲痛な感情がひしひしと迫ってきます。格調の高さは、まさに唐詩の極致ですね。

秋興八首 其七

昆明池水漢時功  昆明の池水は漢時の功
武帝旌旗在眼中  武帝の旌旗 眼中に在り
織女機絲虚夜月  織女の機糸 夜月に虚しく
石鯨鱗甲動秋風  石鯨の鱗甲 秋風に動く
波漂菰米沈雲黒  波は菰米を漂わして雲の黒きを沈め
露冷蓮房墜粉紅  露は蓮房に冷ややかにして粉紅を墜とす
関塞極天唯鳥道  関塞天に極(いた)りて唯だ鳥道のみ
江湖満地一漁翁  江湖満地 一漁翁

長安の昆明池は漢代の大事業で出来た水軍の訓練のための池だ。ここに浮かんだ武帝の艦隊の旌旗が今も目に浮かんでくる。
 今は遊覧の地となり、銀河に見立てて両岸に作られた牽牛織女の像、その織女も皎々と輝く月光の下では牽牛を恋うるあまり機も布を織りなすことは出来ないだろう。また、池を大海に見立てて置かれた石の鯨の鱗や甲羅が秋風にゆらゆらと動いて見えていることだろう。
 波がマコモの実を漂わせて黒々とした雲が沈んでいるように見え、露が冷ややかに蓮の果房に置かれてピンクの花びらが水に落ちて浮かんでいることだろう。
 そんな都の情景を思い浮かべるにつけ、この地は天まで届くような高い白帝城に隔てられ都へ通じているのは鳥の通う道のみで、長江や洞庭湖の一面に水の広がるこの地で私はひとりぼっちの漁翁なのだ。





露下天高秋気清  露下り天高くして 秋気清し
空山獨夜旅魂驚  空山獨夜 旅魂驚く
疏燈自照孤帆宿  疏燈自ら照して 孤帆宿り
新月猶懸雙杵鳴  新月猶お懸りて 双杵(そうしょ)鳴る
南菊再逢人臥病  南菊再び逢いて 人は病に臥し
北書不至雁無情  北書至らず 雁は無情
歩檐倚杖看牛斗  檐(のき)を歩み杖に倚りて 牛斗を看れば
銀漢遙応接鳳城  銀漢 遙かに応に鳳城に接するなるべし

一艘の帆掛け舟が頼りなげな灯火を付けて岸辺に泊まり、二人で打つ砧の音が新月のまだ懸かっている夜空に響いている。
南の地で見る菊の花はこれで二度目であるが、私は病に臥す身体。北から飛んでくる雁は無情にも便りを運んではきてくれない。
軒端に歩みでて杖に寄りかかって斗牛の星座を眺めやると、天の川は遙か彼方できっと長安の街に接していることだろう。

参考図書
 中国文学歳時記 秋 黒川洋一他編 同朋舎

 

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