頼山陽の年末
頼山陽と言えば詠史詩が有名ですが、これは相当な漢学の素養がないと読みこなせないので苦手です。また、当時流行していた市河寛斎の流れ、宋詩を尊ぶ江湖派とも一線を画しており、むしろ唐詩の流れに属するのでしょう。
現代に於いて漢詩を作るとすれば、日常の生活の中での感興を平易に述べないと読者に理解してもらうのが難しいのでどうしても江湖派の詩を手本にしてしまうことになります。しかし、頼山陽は日本の漢詩壇においての最高峰の一つですので何とかものにしたいものです。
今月の詩は、年末の心境を歌った比較的平易な詩です。でも律詩はやはりちょっと難しいですね。
歳暮
一出郷園歳再除 一たび郷園を出て 歳再び除す
慈親消息定何如 慈親の消息 定めて何如
京城風雪無人伴 京城の風雪 人の伴う無く
獨剔寒燈夜読書 独り寒灯を剔(き)りて 夜 書を読む
故郷を出てからもう二回目の大晦日を迎える。お父さんお母さんは元気でおられるのだろうか?
この京都の風雪の中、私はひとりぼっち。寒々とした部屋で灯心を切って読書をする。
除夕
為客京城五餞年 京城に客と為りて 五たび年を餞(おく)る
雪聲燈影両依然 雪声 灯影 両つながら依然たり
爺嬢白髪應添白 爺嬢の白髪 応に白を添うべし
説著吾儂共不眠 吾儂を説著して 共に眠らざらん
京都での旅住まいももう5年を送ることになったが、雪の降る音、灯火の映す影は変わることもない。
故郷の父母の頭髪もまた白さを増していることだろう。旅先の私のことの話で眠らずにおられることだろう。
除夜作
細君拮据鬢蓬麻 細君 拮据(きっきょ)して 鬢は蓬麻
婢辨辛盤僕掃家 婢は辛盤を弁じ 僕は家を掃う
獨有主翁無一事 独り主翁の一事無き有り
出従邨路覓梅花 出でて邨路に従いて 梅花を覓(もと)む
家内は忙しく立ち働いて手入れするいとまもない頭はボサボサだ。下女は料理に忙しく、下男は家の掃除。
ただ、主人の私だけがすることが何もない。通りへ出ていって梅の花でも買ってこようか。
乙酉除夜
寒燈孤館不須眠 寒灯 孤館 眠る須(べ)からず
周歳悲歓瞑目前 周歳の悲歓 瞑目の前
腐鼠嚇鵷供獨咲 腐鼠 鵷を嚇して 独り笑うに供し
老牛舐犢有誰憐 老牛 犢を舐む 誰の憐むか有らん
斗升終懶屈雙膝 斗升 終に双膝を屈するに懶く
四十唯驚過六年 四十 唯驚く六年を過ぐるを
商略一杯娯現在 商略 一杯 現在を娯まん
蝋梅花下且陶然 蝋梅花下 且(しばら)く陶然
侘びしい灯火、寂しい家、眠ることが出来ぬ。目を閉じればこの一年の哀歓が浮き上がってくる。
トンビは腐った鼠を得てそれを取られまいと元々そんなものに見向きもしない鳳凰を威嚇したが、私は僅かばかり得たものに苦笑するばかりだし、老いた牛が子牛を猫かわいがりするように私も子供をかわいがったがその子を失った私を今誰が憐れと思ってくれようか。(この年の春、男の子を疱瘡で失っている)
干からびたフナがバケツ一杯の水をほしがるように、私も緊急の生活費が必要なのだがそのために膝を屈して援助を乞うのも懶いことだ。それにしてももう四十六歳にもなったことに唯驚くばかりだ。
今はちょっとばかりの酒を手に入れて現在を楽しもう。蝋梅の花の下でしばらく陶然としよう。
参考文献
頼山陽詩抄 頼成一・伊藤吉三訳注 岩波文庫 秋の夜雨といえば、まず李商隠の「夜雨寄北」(1999.11)を思い出しますが、今月は夜雨を聞いて昔を思い出すという詩を二首紹介します。