頼山陽の詠史詩

 頼山陽は日本外史で日本の武家の通史を書いており、詩でも詠史の詩が有名です。しかし、故事の引用が多く、また漢語も難しく現代人の浅学な漢文能力では解釈に苦労します。まあ、頑張ってみましたが、正確に解釈できているかは保証の程ではありません。

詠史十二首

其三
白旄披払九重雲  白旄(はくぼう)披き払う 九重の雲 
初見武人為大君  初めて見る 武人の大君と為るを
脩怨能除僧相国  怨を脩めて能く除く 僧相国
貽謀豈料尼将軍  謀を貽(のこ)して豈料らんや 尼将軍
五蛇求穴艱虞定  五蛇 穴を求めて 艱虞定まり
三馬同槽威柄分  三馬 槽を同じくして 威柄分つ
休道荀生扶二姓  休道(いうなかれ) 荀生 二姓を扶くと
削平誰得競元勲  削平 誰か元勲を競うを得ん


源氏の白旗が朝廷を覆っていた黒雲を払ってしまった。ここに初めて武家が政権を執ったのだ。
怨恨を晴らして平清盛(僧相国)を退治したが、後の世への配慮が足らず北条政子に源氏の血統を絶やされた。
五蛇(比企、畠山、和田などの豪族)は穴に隠れようとしたが滅ぼされ、三馬(三善、三浦など?)は北条に寄り添って権力を担った。
大江廣元(曹操の軍師・荀彧に仮託)は公家と武家(或いは源氏と北条氏か?)の二つを輔佐してけしからんなどと云いたもうな。天下の平定した功績を彼と競うものがいようか。


其八
不怪兵鋒独出群  怪まず 兵鋒 独り群を出ずるを
夙将韜略代羶葷  夙に韜略(とうりゃく)を将って 羶葷(せんくん)に代う
碧蹄蹂躙八州草  碧蹄 蹂躙す 八州の草
白羽指揮三越雲  白羽 指揮す 三越の雲
横槊繁霜秋満陣  槊(さく)を横えて 繁霜 秋 陣に満ち
銜枚大霧暁蔵軍  枚(ばい)を銜みて 大霧 暁に軍を蔵(かく)す
稜稜侠骨高千古  稜稜たる侠骨 千古に高し
老賊斉名長惜君  老賊 名を斉しくす 長く君を惜しむ


上杉謙信の武力が群を抜いて強いのは言うまでもないこと。仏門に帰依しても生臭物の代わりに兵法書を読んでいたのだ。
北条氏と戦っては関八州を蹂躙し、また越後を平定した。
能登の戦いでは、槍を横たえて「霜は陣営に満ちて秋気清し」(2000.08参照)の詩を詠み、川中島の戦いでは馬に枚を含ませて霧の中を音もなく軍を進ませた。
厳しくまた侠気のある人柄は千古に名高いが、惜しむらくはあの悪賢い武田信玄と並び称されるとは。

頼山陽は武田信玄が大嫌いみたいですね。


十二媛絶句

紫式部
静女高風冠内家  静女の高風 内家に冠たり
何唯彤管逞才華  何ぞ唯 彤管の才華を逞しくするのみならんや
相公百事原無欠  相公 百事 原(もと) 欠くる無し
不折一枝深紫花  折らず 一枝の深紫花


みめ麗しい静女(詩経)のような紫式部の風雅は宮廷一である。それも唯、文学の才で名を上げただけではない。
藤原道長は何事に於いても叶わぬ事がないという権勢を誇ったが、一枝の紫の花を手折ることは出来なかった。

道長が夜部屋の戸をたたいたが入れなかったという話があるようです。

参考図書
 頼山陽詩抄 頼成一、伊藤吉三訳注 岩波文庫


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