豳風七月
最近詩経の豳風七月という詩のことを知りました。豳風は詩経国風の最後に挙げられていて、国風の詩がそれぞれの地方の民謡を載せているのとは若干性格が違っているそうである。豳は周王朝発祥の地であり、中でも七月の詩は周公旦が先祖時代の農事を偲んで作られたものと云われている。後の時代からは太平の世の農村の歌として引用されている。
古い時代の詩ですので、漢字になじみがなく、解釈が難しいのですが参考書に依拠して説明します。
七月流火 七月流火あり
九月授衣 九月衣を授く
一之日觱発 一の日は觱発(ひっぱつ)たり
二之日栗烈 二の日は栗烈(りつれつ)たり
無衣無褐 衣無く 褐無くんば
何以卒歳 何を以ってか歳を卒(お)えん
三之日于耜 三の日 于(ここ)に耜(し)し
四之日挙趾 四の日 趾(あし)を挙ぐ
同我婦子 我が婦子と同(とも)に
饁彼南畝 彼の南畝に饁(かれい)す
田畯至喜 田畯(でんしょく)至りて喜ぶ
七月になると南にあった火星が西の方へと流下してゆく。九月になれば寒くなって家族に冬の着物を与えて冬支度をさせる。
十一月(一之日)には風が寒くなり、十二月ともなるとぞっとするほどの寒さである。
着物や毛布がないと、どうして冬が越せようか。
一月(三之日)には春が近づいてくるので耜(すき)の手入れをし、二月には足を挙げてスキを土に差し込んで耕さねばならぬ。
その時、家長の私は妻や子供を連れて日当たりの良い田の畝へ弁当を持って行く。そこへ農事見回りの役人様が現れてしっかり働いている様を見て喜ばれるのだ。
七月流火 七月流火あり
九月授衣 九月衣を授く
春日載陽 春日載(すなわ)ち陽(あたた)かに
有鳴倉庚 鳴ける倉庚(そうこう)有り
女執懿筐 女は懿筐(いきょう)を執って
遵彼微行 彼の微行に遵(したが)う
爰求柔桑 爰(ここ)に柔桑(じゅうそう)を求む
春日遅遅 春日遅遅として
采蘩祁祁 蘩(はん)を采ること祁祁(きき)たり
女心傷悲 女の心 傷(いた)み悲しむ
殆及公子同帰 殆(ねがわ)くは公子と同じく帰(とつ)がんことを
七月になると南にあった火星が西の方へと流下してゆく。九月になれば寒くなって家族に冬の着物を与えて冬支度をさせる。
春の日が暖かくなってくると、倉庚(高麗鶯)が鳴き始める。
娘どもは深い竹カゴを持って細い野道に沿ってゆき、桑の柔らかい若葉を採る。
春の日はゆるゆると長く、蘩(白ヨモギ)をたくさん採る(その汁でカイコの種紙を洗う)。
そんなとき、女心はそこはかとなく悲しい気分になる。公女様が嫁がれるときのは、私たちも同じように嫁ぎたいものだわ。
三、四、五、六章略
九月築場圃 九月 場を圃に築き
十月納禾稼 十月 禾稼を納む
黍稷重穋 黍稷重穋(しょしょくちょうりく)
禾麻菽麦 禾麻菽麦(かましゅくばく)なり
嗟我農夫 嗟(ああ) 我が農夫よ
我稼既同 我が稼 既に同(あつ)まる
上入執宮功 上入(じょうにゅう)して 宮功を執る
昼爾于茅 昼は爾 于(ゆ)きて茅かり
宵爾索綯 宵(よる)は爾 索(なわ)綯(な)え
亟其乗屋 亟(すみや)かに其れ屋に乗れ
其始播百穀 其れ百穀を播くを始めん
九月には田圃に脱穀場を築き、十月には穀物を倉に納め入れる。
もちごめ、ひえ、おくて、わせ、それからあわ、麻の実、まめ、むぎなどだ。
ああ、農夫たちよ、よく頑張った。農事は終わって村に取り入れた。
今度は村に帰って、家での仕事をやろう。昼にはおまえたち茅を刈れ、夜には縄をなえ。
そして屋根の登って修理をせねばならん。
明年になったらまた種をまいて農事に励まねばならん。
八章略
参考文献
中国古典詩集(詩経国風) 橋本循訳 世界文学大系 筑摩書房
詩経 海音寺潮五郎訳 中公文庫