楊万里
楊万里(誠斎)は陸游、范成大などとともに南宋の四大詩人の一人と見なされる詩人です。彼の詩は以前に一つ紹介していますが(2001/07)、その斬新で繊細な自然描写は誠斎体と呼ばれ南宋時代には一世を風靡したようです。しかし、自然描写ばかりであまり国事などの詩が少ないことなどから、後にはだんだん注目されることが少なくなりましたが、江戸中期以後の日本ではなかなか人気は高かったようです。
閑居初夏午睡起 閑居 初夏 午睡より起く
梅子留酸軟歯牙 梅子 酸を留めて 歯牙を軟らかくし
芭蕉分緑与窓紗 芭蕉 緑を分かちて 窓紗に与う
日長睡起無情思 日長く 睡より起きて 情思無く
閑看児童捉柳花 閑に看る 児童の柳花を捉えんとするを
梅の実の酸っぱさが口に残り歯が浮く感じがする。芭蕉がその葉の緑色を窓のカーテンに分け与えている。
初夏の日長、昼寝から目覚めてぼんやりとして、何となく子供たちが柳絮の飛ぶのを追っかけているのを眺める。
凍蝿
隔窓偶見負暄蝿 窓を隔てて 偶ま見る 暄(けん)を負(お)う蝿
双脚挼挲弄暁晴 双脚 挼挲(ださ)して 暁晴を弄す
日影欲移先会得 日影 移らんと欲して 先ず会(さと)り得たり
忽然飛落別窓声 忽然 飛びて別窓に落ちて声あり
窓ごしに偶然蝿が日なたぼっこをしているのを見つけた。両足をこすって晴れた朝を喜んでいるようだ。
日射しがだんだん移って行くのに早くも気がついたようで、突然飛び立って隣の窓に当たって音を立てた。
感秋
旧不悲秋只愛秋 旧(も)と 秋を悲まず 只秋を愛す
風中吹笛月中楼 風中 笛を吹く 月中の楼
如今秋色渾如旧 如今(じょこん) 秋色 渾(すべ)て旧の如くなれど
欲不悲秋不自由 秋を悲まざらんと欲するも自由ならず
昔は秋を悲しいなんて思わず、ただ秋を愛したもので、月が照らす高殿で風に乗せて笛を吹いていたものだった。
ところが今では秋の気配は昔と全く変わらないのだが、秋が悲しいなどと思いたくないのに、思い通りにはならない。
春晴懐故園海棠 春晴 故園の海棠を懐う
竹辺台榭水辺亭 竹辺の台榭 水辺の亭
不要人随只独行 人の随うを要(もと)めず 只だ独り行く
乍暖柳条無気力 乍ち暖かにして 柳条 気力無く
淡晴花影不分明 淡晴 花影 分明ならず
一番過雨来幽径 一番の過雨 幽径に来り
無数新禽有喜声 無数の新禽 喜声有り
只欠翠紗紅映肉 只だ欠く 翠紗 紅 肉に映ずるを
両年寒食負先生 両年 寒食 先生に負(そむ)けり
予去年正月、離家之官。蓋両年不見海棠矣。
(予 去年正月、家を離れて官に之(ゆ)く。蓋(けだ)し 両年 海棠を見ざるなり)
第七句:蘇軾の「翠袖巻紗紅映肉」を引いている。
竹林の辺の高殿、水辺の亭、連れは要らないと独りでここにやってきた。
不意にやってきた陽気に柳の枝は力なく垂れ下がり、薄曇りのなか花の姿もかすんではっきりしない。
通り雨がひっそりとした小径を湿らせ、巣立ったばかりの小鳥たちの嬉しげな鳴き声に充ち満ちている。
只残念なのは(海棠の花の)みどりの薄絹の袖から紅色に染まった腕が見えないこと。この二年海棠の咲く寒色に時期に先生(私)が故郷の庭を留守にしているのだから。
参考図書
宋詩選注 銭鍾書著 東洋文庫 平凡社
宋詩選 小川環樹著 筑摩書房