詩僧 元政
 江戸初期の詩人といえば石川丈山がよく知られていますが、詩僧 元政も彼と並び称せられるようです。私は初めて知りましたが。
 元政は元和九年(1623)京都で公家に仕える侍の子として生まれた。若年の頃は兄姉と共に井伊家に仕えたが、病がちであったため25歳で致仕し、日蓮宗の僧侶となった。僧侶としても学識・高徳をもって知られる存在であったようである。京都深草に母を伴って隠棲する(今の瑞光寺)。長年、母に仕えながら寺に住んだが、母の死の二ヶ月後、46歳で死去する。
 元政がどのようにして作詩を学んだかについてはよく判らないが、明末の袁宏道の詩に傾倒したらしい。袁宏道は性霊説の祖であるから、彼は文化文政の江湖派の詩人の先駆といえるかもしれない。そのため平易な詩が多いようである。

艸山遠眺

蕞爾一廬連翠微  蕞爾(さいじ)たる一廬 翠微に連なり
艸山絶頂客攀稀  艸山の絶頂 客の攀(よず)ること稀なり
放牛処処疑鴉集  放牛 処処 鴉の集うかと疑い
宿鷺村村怪蝶飛  宿鷺 村村 蝶の飛ぶかと怪しむ
雲断林梢孤塔出  雲は林梢に断えて 孤塔出で
風分蘆葉片帆帰  風は蘆葉を分けて 片帆帰る
眺望有限心無限  眺望は有限 心は無限
猶坐松根送夕暉  猶お松根に坐して夕暉を送る

見下ろせばポツンと小さな我が庵は緑の山に連なっており、この草山(深草山)に登ってくる人は滅多にいない。
ところどころに散らばっている放牧の牛はカラスが集まっているかのようで、村々にたむろしている鷺は蝶々が飛んでいるかと疑う。
雲が林の梢に切れてひとつの塔が突き出ており、風が芦の葉を吹き分けると淀川に帆掛け舟が帰って行くのが見える。
眺望には限りがあるが、心は無限に広がって行く。今しばらく松の根に腰掛けて夕陽の沈むのを見送ろう。


偶興

秋高秋水見秋空  秋高くして 秋水に秋空を見る
誠識従来天地同  誠に識る 従来 天地の同きを
不用此時労俯仰  用いず 此の時 俯仰を労するを
鳶飛魚躍一池中  鳶飛び 魚躍る 一池の中


秋たけなわ、澄んだ水が秋空を映している。これを見ると本来天地が同じだということが実感できる。
このとき空を仰いだり俯いて水を見たりする必要はない。池の水の中にトンビの飛ぶのと、魚の躍り上がるのを同時に見ることが出来る。


病来 其二

夢裡鳴鳩林日閒  夢裡 鳴鳩 林日閒(しずか)なり
満堂無客昼如年  満堂 客無くして 昼 年の如し
一生多病是何幸  一生 多病 是れ何の幸いぞ
白髪老僧傍母眠  白髪の老僧 母に傍いて眠る

夢うつつ、鳩の鳴き声、山林の中の一日は静かに過ぎて行く。寺の中にはどこにも来客はなく、昼は一年のように長い。
私の一生は多病だが、何とありがたいことか。白髪の老僧がいい年をしてお母さんと一緒に眠れるなんて。

参考図書
 江戸詩人選集 第一巻 石川丈山・元政 上野洋三注 岩波書店


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