袁宏道
 袁宏道は明末、万暦年間という明文化の爛熟時代に生きた詩人です。
 当時、詩文はいわゆる李攀竜らの擬古派が勢力を張っており、「文は秦漢、詩は盛唐」のスローガンで、詩は唐代の摸倣に終始していた。袁宏道はそれに反発して、詩は自分の心から発露する感情を詠うべきだとして、性霊説を唱えた。この説は清代の袁枚にまで受け継がれ、日本でも文化文政の詩人たちに多大の影響を与えた。
 性霊説では、当然典故(昔の故実)などの用いられることも多くなく、我々にも比較的理解しやすい詩が多く、一般市民も作詩に参加出来るようになりました。

荒園独歩

寒食春猶爛  寒食 春猶お爛(たけな)わに
東風草自芊  東風 草自ら芊(しげ)る
花燃無焔火  花は無焔の火を燃やし
柳吐不織綿  柳は不織の綿を吐く
宦博人間累  宦にしては人間の累(わず)らいを博し
貧遭妻子憐  貧にしては妻子の憐れみに遭う
微官如可典  微官 如(も)し典すべくんば
乞我買山銭  我に山を買う銭を乞(あた)えよ


寒食の時節となったが、春はまだたけなわで、東風に草は青々と茂っている。
花はほのおのない火を燃やし、柳は織られていない綿毛を吐き出している。
役人(市長ぐらい?)としてはむやみに世間の煩いとなっているが、貧しさゆえに却って妻子からはやさしく扱ってもらえる。
このしがない官職がもし質に入れられるものなら、その金で隠居する山を買いたいものだ。(山を買う:世説新語の故事)


江上

二月山花接郡城  二月 山花 郡城に接し
絳桃垂柳独分明  絳桃 垂柳 独り分明  
請看高塚宮人草  請う看よ 高塚宮人の草

別作青春一段情  別に青春一段の情を作す


春二月 山の花々は郡の城郭まで続いている。赤い桃の花、しだれ柳がくっきりと鮮やかに見えている。
どうか見たまえ、宮女の墓である高い塚の上の草を。あそこだけは特別の春の気配を見せているではないか。


別丘大    丘大に別る

世人等閑聚  世人 等閑に聚(あつ)まり
亦復等閑別  亦復(また) 等閑に別る
我輩会非常  我輩(われら)会うこと常に非ず
別寧不痛切  別るるは寧(なん)ぞ痛切ならざらんや
天荒古木寒  天荒れて 古木寒く
愁老石皮裂  愁い老いて 石皮裂く
十月江上風  十月 江上の風
酸却行人轍  行人の轍(わだち)を酸却す
当年別妻児  当年 妻児に別るるも
道我肝如鉄  我が肝は鉄の如しと道(い)えり
今夕送君去  今夕 君の去るを送るに
化作紅炉雪  化して紅炉の雪と作る
荊樹掇皮真  荊樹 皮を掇(む)くも真にして
竹子到頭節  竹子 頭に到るまで節あり
万里黄州程  万里 黄州の程

一歩一心折  一歩 一心折


世の人々は何となく集まり、また何となく別れてゆく。
しかし我々は顔を合わせることさえ常のことではないのに、まして別れは痛切なもの。
荒れた空の下、古木は寒々と立ち尽くし、幾年も積み重なった愁いに石の表面も裂けるほど。
江上を吹き渡る十月の風は旅人の車を行き悩ませる。
嘗て私が妻子と別れたとき、「俺の肝は鉄で出来ていてびくともしない」といったが、今夕、君を送るに当たっては、赤い炉の上の雪のように溶けてしまう。
荊樹はその皮の下に美しい生地を隠しており、竹はてっぺんまでしっかりとした節が続いている。(そのような君が志を果たすことが出来ぬとは)。黄州への万里の道を君の心は一歩ごとにうちひしがれつつ辿ってゆくのか。

参考図書 
 中国詩人選集二集 袁宏道 入矢義高注 岩波書店
 



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