2016年07月

蘇軾 夏の旅
 
今月は蘇軾の夏の詩を紹介します。

蘇軾 自興國往筠、宿石田駅南二十五里野人舎
(興國より筠に往き、石田駅南二十五里の野人の舎に宿る)

渓上青山三百畳  渓上の青山 三百畳
快馬軽衫来一抹  快馬 軽衫 来って一抹す
倚山脩竹有人家  山に倚る脩竹 人家有り
横道清泉知我渇  道に横たう清泉 我が渇を知る
芒鞋竹杖自軽軟  芒鞋 竹杖 自ら軽軟に
蒲薦松牀亦香滑  蒲薦 松牀 亦た香滑なり
夜深風露満中庭  夜深けて 風露 中庭に満ち
惟有孤螢自開闔  惟だ 孤螢の自(ひと)り開闔(かいこう)する有り


渓谷の上には何百重にもうち重なる山々。そこを馬を走らせ、一重の着物でサッと通り過ぎる。
山際の美しい竹藪には人家があり、道の横の清らかな泉は私の喉の渇きを知っていたかのようである。
ススキの草鞋に竹の杖で軽やかに歩む。蒲のむしろ、松のベッドは滑らかで香りに満ちている。
夜が更けてくると中庭には涼やかな露が満ち、ただ一匹の螢が光ったり消えたりしている。

 蘇軾の詩と言えば、理屈っぽくて典故がてんこ盛りにされた詩が多いのですが、これは判りやすい詩ですね。しかし、泉が人間の喉の渇きを知っているというような擬人的表現はやはり宋詩の特徴を表しているといえるでしょうか。
 それにしても、暑さを忘れさせるような涼やかな夏の旅ですね。
 この詩は仄韻の律詩ですが、抹・渇・滑は入声で通用韻でしょうが、畳や闔は同じ入声でも韻が違うと思うのですが、仄韻の場合はこういうことが許されるのでしょうか? ちょっとわかりません。対句など律詩の形態になっていますが、七言古詩という方が適切かも知れません。

参考図書
 中国文学歳時記 夏 黒川洋一他編 同朋舎