2017年02月
また、梅の詩
蘇軾 「和秦太虚梅花」(秦太虚の梅花に和す)
この詩は、秦観(蘇門四学士の一人)が送ってきた詩に次韻したもので、後世、この中の「竹外一枝斜更好」の一句が林逋の「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏(2003.3)」を凌ぐ名句と評されています。私にはこれのどこがそんなに素晴らしいのかよく判りませんが。ただ、詩全体としては決められた韻字を使ってこれだけの詩が作れるのは素晴らしいと思います。それにしても蘇軾は次韻の詩をマニアックに作っていますね。
西湖處士骨應槁, 西湖の処士 骨 応に槁(か)れたるべし
只有此詩君壓倒。 只此詩有りて 君 圧倒す
東坡先生心已灰, 東坡先生 心 已に灰となるも
為愛君詩被花惱。 君が詩を愛するが為に 花の悩ますを被むる
多情立馬待黄昏, 多情 馬を立たせて 黄昏を待てば
殘雪消遲月出早。 残雪の消ゆるは遅く 月の出ずるは早し
江頭千樹春欲闇, 江頭の千樹 春 暗らからんと欲し
竹外一枝斜更好。 竹外の一枝 斜めにして更に好し
孤山山下醉眠處, 孤山 山下 酔いて眠る処
點綴裙腰紛不掃。 裙腰を点綴して 紛として掃わず
萬里春隨逐客來, 万里 春は隨う 逐客の來るに
十年花送佳人老。 十年 花は送る 佳人の老ゆるを
去年花開我已病, 去年 花開いて 我已に病み
今年對花還草草。 今年 花に対すれば 還た草草たり
不如風雨卷春歸, 如かず 風雨の春を卷いて帰り
收拾余香還畀昊。 余香を收拾して 昊(そら)に還畀(かんひ)するに
梅花の詩で有名な西湖の隠遁者・林逋の無き今は、この詩を作った君が他を圧倒している。私(蘇東坡)は老いて心は已に灰となり何ものにも動かされることはなかったが、君の送ってくれたこの詩を愛したがため、また梅の花に悩まされてしまった。
情感豊かな若き頃、馬を留めて黄昏を待てば、まだ春早く残雪が残っており、昼は短くてすぐに月が昇ってきた。
あの時、川べりの梅林の満開の花は春の景色を却って暗く見せていたが、竹藪から斜めに突き出た一枝の梅の花だけが鮮やかであった。
また西湖の中の孤山の麓で酔っ払って寝ていた時、山裾に一杯に散らばった梅の花びらが一筋の道を作っていたのを思い出す。
万里、春は流され人の行くところ、どこへでも付いてきてくれ、この十年の間、梅の花は佳人(私)の老いてゆくのを見送ってくれた。
去年、梅の咲いた頃に私はすでに病み、今年もまた衰えた姿で梅花を眺め、心穏やかではない。
いっそのこと、風雨が春を連れ去って帰り、梅の香りを全て吸い取って空へ返してくれればよいのだが。
(以上は私の自己流の解釈で、蘇軾の真意を外している恐れが多分にあります)
夏目漱石 「無題」
山居日日恰相同 山居 日日 恰かも相同じ
出入無時西復東 出入 時と無く 西復た東
的皪梅花濃淡外 的皪たる梅花 濃淡の外
朦朧月色有無中 朦朧たる月色 有無の中
人従屋後過橋去 人は屋後より橋を過ぎて去り
水到蹊頭穿竹通 水は蹊頭に到りて竹を穿ちて通る
最喜清宵燈一點 最も喜ぶ 清宵 灯一点
孤愁夢鶴在春空 孤愁 鶴を夢みて 春空に在り
山中での生活は毎日同じこと。散歩に出入は時と無く、また行き先も知れぬ。
梅はパッチリと咲いて、花の色の濃淡は超越しており、朦朧とした月は在ると思えばあり、無いと思えば無い。
通行の人は家の後ろを通って橋を過ぎて行き、谷の水は道ばたで竹藪の中へ入って流れる。最も嬉しいのは、この清らかな夜に一点の灯火の下で、一人孤独の愁いの中、夢に鶴となって春の空を飛んでいることだ。
参考図書
蘇文忠公詩合註 中文出版社
漱石詩注 吉川幸次郎 岩波文庫