2017年11月
西郷隆盛
西郷隆盛の詩は巧拙を超越して心に迫ってくるものがあります。これはやはり彼が大きな志を持ち、波瀾万丈の生涯を送ったことによるのでしょう。
避暑
苛雲囲屋汗沾衣 苛雲 屋を囲みて 汗 衣を沾(うるお)す
白鳥飢来吮血肥 白鳥 飢え来って 血を吮(す)いて肥ゆ
逃暑移床臨澗水 暑を逃れ 床を移して 澗水に臨み
曳筇揺扇歩苔磯 筇を曳きて 扇を揺らて 苔磯を歩む
斉鳴蛙鼓田疇沸 斉鳴の蛙鼓 田疇に沸き
乱点螢燈草露輝 乱点の螢燈 草露に輝く
幽味最甘松樹下 幽味 最も甘し 松樹の下
爽風閑月度崔嵬 爽風 閑月 崔嵬(さいかい)を度る
白鳥:蚊の異称
炎天の雲が家を囲んで、汗で衣が濡れる。飢えた蚊がやってきて血を吸って肥ってゆく。
暑さを逃れようと床机を谷川のほとりに移し、杖をついて扇子をあおぎながら苔むした岸辺を歩く。
蛙の声が太鼓のように田畑から沸き上がり、露を置いた草むらから螢の光が乱れ輝く。
もっとも幽閑の気分が深いのは松の木の下。爽やかな風とのどかな月が高い梢を渡ってゆく。
獄中有感
隆盛は島津久光の怒りを買い35歳の時から沖永良部島に三年間流される。
朝蒙恩遇夕焚坑 朝に恩遇を蒙り 夕に焚坑
人世浮沈似晦明 人世の浮沈 晦明に似たり
縦不回光葵向日 縦(たと)い光は回らざるも 葵は日に向い
若無開運意推誠 若し運の開く無きも 意は誠を推す
洛陽知己皆爲鬼 洛陽の知己 皆 鬼と爲り
南嶼俘囚独窃生 南嶼(なんしょ)の俘囚 独り生を窃む
生死何疑天付与 生死 何ぞ疑わん 天の付与せるを
願留魂魄護皇城 願わくは 魂魄を留めて皇城を護らんことを
朝に主君の寵愛を受けていても、夕べには責めを受ける、人の世の浮き沈みは夜と昼の入れ替わりみたいなもの。
しかし、たとえ日が射していなくてもヒマワリは常に日射しを求め、私も運命が開けずとも心は誠意を尽くすばかりである。
京都の仲間はみんな死者となり、南の島で囚われ人となって私一人だけがおめおめと生き残っている。
人の生き死には天の定め、死んでしまっても魂魄をこの世に留めて、天子のいますこの国を護りたいものだ。
月照和尚忌日賦焉
明治七年、48歳の作。隆盛は30歳の頃、島津斉彬の死後、京都から幕府の追求を逃れて来ていた勤王派の同志・僧月照と手を携えて鹿児島湾に投身自殺を図るが、彼一人助けられる。
相約投淵無後先 相約して 淵に投ず 後先無し
豈図波上再生縁 豈に図らんや 波上 再生の縁
回首十有餘年夢 回首すれば 十有餘年の夢
空隔幽明哭墓前 空しく幽明を隔てて 墓前に哭す
一緒に死のうと手を携えて薩摩の海に身を投げたのだが、思いもよらず私一人波の上に生きて帰る運命だった。
振り返ってみれば十年余の昔の夢のような出来事であった。今、幽明を異にしてあなたの墓前で痛哭するばかりである。
参考図書
江戸漢詩選 4 志士 坂田新注 岩波書店