2018年02月
禽言詩
ちょっと変わった詩のジャンルに「禽言詩」と呼ばれるものがあります。鳥の聞きなしを詩の中に入れたものでなかなかユーモアに富んでいます。ヘー、中国にも聞きなしがあったんだ。私も初めて知った時にはちょっとビックリしました。北宋時代から流行しだしたようです。
蘇軾 五禽言 其三
去年麦不熟 去年 麦 熟さず
挟弾規我肉 弾を挟みて 我が肉を規す
今年麦上場 今年 麦 場に上る
処処有残粟 処処に残粟有り
豊年無象何処尋 豊年 象無く 何の処にか尋ねん
聴取林間快活吟 聴取せよ 林間 快活の吟
去年は穀物が不作だった。それで狩猟の獲物が私の肥痩を定めた。(この句、意味がよく判りません。仮にこう訳しておきました)
今年は豊作で麦が収穫場に積み上がっている。畑にはまだ残っている穀物が散らばっている。
さて、豊年のしるしを何処に尋ねようか。聞きたまえ、林の中で快活が「麦飯熟」と鳴いているじゃないか。
蘇軾の自注に、「此鳥声云麦飯熟即快活」とあります。麦飯熟即快活までが鳥の声か、麦飯熟だけが鳴き声なのかちょっと判りません。
黄庭堅 戲和答禽語
南村北村雨一犁, 南村 北村 雨一犁
新婦餉姑翁哺兒。 新婦は姑を餉し 翁は兒を哺む
田中啼鳥自四時, 田中の啼鳥 四時より
催人脫袴著新衣。 人に催すに袴を脫ぎて新衣を著けよと
著新替舊亦不惡, 新を著けて旧に替えるは亦た惡しからず
去年租重無袴著。 去年 租重くして袴の著くる無かりき
南の村も北の村も一犁サクッと入るに十分な雨が降った。嫁はしゅうとめに食事の用意をし、爺さんは孫にご飯を食べさせている。
田圃の布谷鳥はしょっちゅう、私に古い袴を脱いで新しいのを着けろと勧めてくれる。
袴を新調するのも悪くないなあ、去年は税金が重くて着る袴もなかったもの。
布谷鳥は「脱却破袴(破れた袴は脱ぎ捨てよ)」鳴くそうです。しかし布谷鳥は郭公のことで「脱却破袴」はホトトギスの鳴き声だとの説もあるようです。
陸游 雨中出遊夜歸
小雨南山路 小雨 南山の路
今朝思出遊 今朝 出遊を思う
難從子規請 子規の請には從い難く
寜遣竹雞憂 竹雞の憂は遣(や)り寜し
野店寒饒柿 野店 寒くして柿饒(おお)く
煙津晩喚舟 煙津 晩に舟を喚ぶ
歸來對燈火 歸來して燈火に對すれば
未恨濕衣裘 未だ恨まず衣裘の濕れたるを
三句目:子規(ホトトギス)鳴き声は「不如帰去(bu ru gui chi)」ですから、「帰った方がいいよ」というホトトギスの勧めには従えない
四句目:竹鶏の鳴き声は「泥滑滑」なので、「泥で滑りやすいよ」という竹鶏の心配はほっといてもよい。
ホトトギスは日本でも不如帰と書きますが、これは鳴き声から来ていたのですね。日本では「テッペンカケタカ」か「トッキョキョカキョク」ですが、似ていますかね。
竹鶏は日本に移植されてコジュケイと呼ばれていますが、この聞きなしは「チョットコイ」ですね。「泥滑滑(現代中国語ではニーファファだが、宋代にはニークックッと読んだかもしれない)」となんか似ていますね。