2018年05月
尤袤 南宋四大詩人の一人
南宋四大詩人と云われますが、陸游、楊万里、范成大の三人はすぐに挙げられますが、あと一人は誰だろう? ネットで調べてみると、尤袤(ゆうぼう)という詩人のようである。聞いたことがなかった。手持ちの詩集のなかでは、銭鍾書の「宋詩選注」に一首挙げられていました。銭鍾書に言わせると、他の三人に比べると平凡でだいぶレベルが落ちるとのことです。そのせいでしょうか、彼の詩集は散佚して現在残っている詩は百首足らずのようです。
尤袤(1127~1194)は官僚としては礼部尚書(文部大臣?)に到っていますので、四人の中では范成大に次ぐ出世をした人でしょう。それにしてもこの四人は生まれがほとんど同じなので、同年代の官僚としてお互い知り合っていたのでしょうね。
淮民謡 淮民の謡
東府買舟船、西府買噐械。 東府 舟船を買い、西府 器械を買う。
問儂欲何為、團結山水寨。 儂に問う 何をか為せんと欲するかと、山水寨に団結せらる。
寨長過我廬、意氣甚雄粗。 寨長 我が廬を過るに、意氣 甚だ雄粗なり。
青衫両承局、暮夜連勾呼。 青衫の両承局、暮夜 連(しき)りに勾呼す。
勾呼且未已、椎剝到雞豕。 勾呼 且つ未だ已まざるに、椎(う)ち剝ぐこと雞豕に到る。
供應稍不如、向前受笞箠。 供応 稍(や)や如(し)かざれば、前に向いて笞箠を受く。
驅東復驅西、棄郤鋤與犂。 東に駆られ復た西に駆られ、鋤と犂を棄郤す。
無錢買刀劍、典盡渾家衣。 刀劍を買うに錢無く、渾家の衣を典し尽くす。
去年江南荒、趁熟過江北。 去年 江南 荒れ、熟(みの)り趁(お)いて江北に過る。
江北不可住、江南歸未得。 江北 住(とどま)るべからず、江南 歸るを未だ得ず。
父母生我時、教我學耕桑。 父母 我を生みし時、我をして耕桑を学ばしむ。
不識官府嚴、安能事戎行。 官府の厳しきを識らず、安くんぞ能く戎行を事とせんや。
執槍不解刺、執弓不能射。 槍を執るも刺すを解せず、弓を執るも射ること能わず。
團結我何為、徒勞定無益。 団結するも 我何をか為さん、徒労にして 定めて益無からん。
流離重流離、忍凍復忍飢。 流離して重ねて流離す、凍を忍び 復た飢を忍ぶ。
誰謂天地寛、一身無所依。 誰か謂う 天地寛しと、一身 依る所無し。
淮南喪亂後、安集亦未久。 淮南 喪亂の後、安集 亦た未だ久しからず。
死者積如麻、生者能幾口。 死者 積むこと麻の如く、生者 能く幾口ぞ。
荒村日西斜、破屋両三家。 荒村 日は西に斜き、破屋 両三家。
撫摩力不給、將奈此擾何。 撫摩せんとするも 力 給せず、將に此の擾(みだ)れを奈何(いかん)せん。
東の街で舟を買い、西の街では武器を買う
私に何をしようとしているのかと人がいる、「人々が駆り出されて山水寨に集められているのだ」と答える。
山水寨の司令官が我が家の前を通りかかるが、その意気たるや甚だ猛々しい。
青い衣の下役人は、夕暮れだというのにしきりに呼び立てる。
呼び立てがまだ終わらぬうちに、鶏や豚を奪い取ってゆく。
もてなしが充分でないと、前に引き出されて笞で打たれる。
東に体されたかと思うと今度は西へ、鍬や犂は放り出されたまま。
刀剣を買う銭はなく、家中の衣服は質に入れ尽くした。
去年、淮河の南は飢饉で、実った穀物を求めて北へ渡ったものもいる。
だが敵地の北側に止まることは出来ないし、さりとて南側へまだ帰ることも出来ない。
両親は私を生んで、農業を学ばせた。
その頃は役所の厳しさは知らず、またなんで戦のやり方なんか知っていようか。
槍を持っても刺し方は知らないし、弓を執っても射ることは出来ない。
駆り集められてもどうしようもない、無駄骨で何の益があろうか。
流れ流れて、寒さを忍びまた飢えを忍ぶ。
誰がこの天地が広いというのか、この身一つを寄せるところとてない。
淮河の南では動乱の後、安らぎはつかの間長くは続かない。
死者の亡骸は麻のように積み上げられ、生きているものは何人もいない。
荒れ果てた村に日は西に傾き、あばら屋が二三軒残っているだけ。
救済しようにも力が足りない、この乱れた有様をどうしようか。
淮河は南宋と金の国境線であり、住民は大変苦しい状況にあった。尤袤は此の地の県知事だったことがあるので、その頃作られたのだろう。
参考図書
宋詩選注3 銭鍾書著 東洋文庫