2018年09月
梅堯臣 「五月十三日 大水」

 先月に続いて洪水の詩です。北宋の梅堯臣です。良寛さんの詩とは異なり、あまり庶民の苦しみといったものは感じられませんね。むしろ大水を面白がっている雰囲気さえ感じられますね。最後の二句は孔子が自分の理想とする道徳がこの世で行われないので世を捨ててイカダに乗って海へ出て行きたいといったのを引用しているようです。梅堯臣のいつもの癖で最後に説教臭い句を付け加えていますね。

誰知山中水  誰か知らん 山中の水の    誰が知ろうか 山中の水が 
忽向舎外流  忽ち舎外に向いて流るを    不意に家の外を流れようとは
誰知門前路  誰か知らん 門前の路    誰が知ろうか 門前の路が
已通渓中舟  已に渓中の舟を通せるを    谷川の舟の通り路となろうとは
窮蛇上竹枝  窮蛇 竹枝に上り    追い詰められた蛇は竹の枝に登り
聚蚓登階陬  聚蚓 階陬を登る    ミミズの群れはきざはしの隅に上っている
我家地勢高  我が家 地勢高く    我が家は高台にあり
四顧如湖滮  四顧すれば 湖の滮(なが)るるが如し    四方を見渡すと湖が流れているよう
浮萍穿籬眼  浮萍 籬眼を穿ち    浮草が垣根の隙間を通り抜け
断葑過屋頭  断葑 屋頭を過る    千切れたマコモは屋根の側を通る
官吏救市橋  官吏は市の橋を救わんとして    役人たちは市場の橋を守ろうと
停車当市楼  車を停めて市楼に当る    車を停めて料理屋にたむろしている
応念此中居  応に念うべし 此の中に居るものは    しかしそんなところに居て
望不辯馬牛  望めども馬牛を辯ぜざるを    眺めても牛と馬の見分けも付かないだろう
危湍瀉天河  危湍 天河を瀉ぎ    荒れ狂う濁流は天の川が流れ込んでいるようで
漫漫無汀州  漫漫として汀州無し    見渡す限り陸地は見えない
群蛙正得時  群蛙 正に時を得て    カエルどもは我が天下とばかり
日夜鳴不休  日夜 鳴きて休まず    昼も夜も鳴き通し
戢戢後池魚  戢戢(しゅうしゅう)たる後池の魚    アップアップしていた池の魚は
随波去難留  波に随いて 去って留め難し    波に従って去って行くが止めようもない
揚鬐雖自在  鬐(ひれ)を揚げて 自在なりと雖も    ヒレを揚げて自由に泳げるといっても
江上多網鉤  江上 網鉤多し    川の上には網や釣り鉤が一杯ある
紛紜閭里児  紛紜(ふんうん)たり 閭里の児   ワアワアと村の子供たちが
踊躍競学泅  踊躍 競いて泅(およぎ)を学ぶ    飛び跳ねながら我がちに水泳の稽古だ
吾慕孔宣父  吾は慕う 孔宣父    私は孔子様が
有意乗桴浮  桴(いかだ)に乗りて 浮ぶに意有り    筏に乗ってこの世から逃げ出したいといったのが慕わしい

参考図書 中国詩人選集二集 梅堯臣 筧文生注