2009年01月
晩唐の詩人
今月は晩唐を代表する三詩人を取上げました。この時代の詩は優艶な表現、退廃的な詩情が特徴的ですが、それ故に「唐詩選」など硬派の選集に取上げられることは少なく、我々も杜牧以外はあまり知りませんでした。しかし、西洋の詩などで、そういった気分の詩に馴れた我々にとっては、見るべきものの多い詩人たちだと思います。
杜牧 「寓題」
把酒直須判酩酊 酒を把らば 直ちに須(すべから)く判して酩酊すべし
逢花莫惜暫淹留 花に逢はば 暫く淹留(えんりゅう)するを惜しむ莫れ
假如三萬六千日 假如(たとえ)三万六千日なるも
半是悲哀半是愁 半ばは是れ悲哀 半ばは是れ愁い
酒を手にしたならば、すぐに適当に酔っぱらうのがよい。花に逢ったならばせかせかせず暫くそこに留まって楽しむべきだ。
人間 たとえ百年生きたところで、半分は悲しみ、半分は愁いの中だ。
杜牧 「念昔游」
十載飄然縄検外 十載 飄然 縄検(じょうけん)の外
髄O自献自為酬 髄O 自ら献じ 自ら酬を為す
秋山春雨間吟処 秋山 春雨 間吟の処
倚徧江南寺寺楼 倚(よ)りて徧(あまね)し 江南 寺寺の楼
何の束縛も受けないでぶらぶらして十年が経った。酒樽を前にして一人で酒のやりとり。
秋の山、春の雨、江南の寺を渡り歩いて楼に寄りかかってのんきに詩を吟じていたのは昔が思い出される。
李商隠 「楽遊原」
向晩意不適 晩(くれ)に向(なんな)んとして意(こころ)適わず
駆車登古原 車を駆って古原に登る
夕陽無限好 夕陽 無限に好し
只是近黄昏 只是 黄昏に近し
李商隠 「無題」
やはり、李商隠の詩は解釈が難しいですね。とても手が出ません。
颯颯東風細雨来 颯颯たる東風 細雨来り
芙蓉塘外有軽雷 芙蓉塘外 軽雷有り
金蟾齧鏁焼香入 金蟾 鏁(くさり)を齧み香を焼きて入り
玉虎牽絲汲井回 玉虎 絲を牽きて井を汲みて回る
賈氏窺簾韓掾少 賈氏 簾を窺いて 韓掾は少(わか)く
宓妃留枕魏王才 宓妃 枕を留めて 魏王は才あり
春心莫共花争発 春心 花と共に発(ひら)くを争う莫れ
一寸相思一寸灰 一寸の相思 一寸の灰
一なぎ一なぎ吹くさわやかな春風に乗って、か細い雨が降り始めた。蓮の花が咲き乱れる庭の池のむこうで、かろやかな雷の音がする。
ここ貴人の館では、誰を喜ばそうとするのか、新たに香が入れかえられ、黄金の香炉全体に浮彫りされた湿気よけのひきがえるが、あたかも口をかみ合わすように、錠前がぱちりと閉ざされる。やがて薫り高い香煙が客間の方へ忍び入る。また井戸辺では、虎のかたちを刻んだ硬玉のろくろが、つるべにひかれ、井戸水が汲みあげられるにつれて回転する。
このように、この家の令嬢が、香をたかせ、化粧の水を汲ませるのは、恐らく、晋の世の大臣、賈充の娘が、父の宴会を青い簾ごしにのぞきこみ、韓寿なる若い書記官をみそめたように、誰か心に慕う人があってのことだろう。しかし、魏のひと甄后が、文才秀でた弟の曹植に心寄せながらも、兄の曹丕に嫁がされたように、いずれは死後のかたみに贈る枕でしか、思いを遂げることのできない悲運に泣かねばならぬのではあるまいか。
うら若き人の春の心よ。それ故に、花ときそってまで、その心に恋の花を咲かせようとしてはならぬ。一刻の愛の燃焼は一刻ののちに胚を生み、一寸の相思はやがて一寸の死灰となること必定なのだから。(高橋和巳訳)
温庭筠 「偶遊」
晩唐の詩人。若くして文才があったが、軽薄な素行のため科挙に及第できず、地方を転々とした。彼の名は魚玄機の師匠として、(2007.06)に出てきました。
曲巷斜臨一水間 曲巷 斜めに臨む 一水の間
小門終日不開関 小門 終日 関を開かず
紅珠斗帳桜桃熟 紅珠の斗帳 桜桃熟し
金尾屏風孔雀閑 金尾の屏風 孔雀閑かなり
雲髻幾迷芳草蝶 雲髻 幾んど迷う 芳草の蝶
額黄無限夕陽山 額黄 無限 夕陽の山
与君便是鴛鴦侶 君と与に 便ち是れ 鴛鴦の侶(とも)
休向人間覓往還 人間(じんかん)に向いて往還を覓むるを休(や)めよ
横町の色街、斜めに流れる堀に沿っている。小さな門は一日中閉ざされたまま。
寝台のとばりに描かれた桜桃の珠のように真っ赤に熟した実、また屏風には孔雀が金の尾を開いてのんびりと遊ぶさまが描かれている。
雲のようにゆたかな髪には、あたかも芳草の間で迷い飛んでいるような蝶のかんざし、黄色のおしろいを塗ったひたいは、夕陽の山のような富士額。
あなたと一緒にいれば、それはそのまま一つがいのおしどり。人の世に行き来しようとなどは考えまい。
参考図書
中国名詩鑑賞 6 杜牧 市野澤寅雄選 小沢書店
李商隠 高橋和巳著 河出文庫
漢詩名句辞典 鎌田正・米山寅太郎著 大修館書店