2009年02月

朝鮮の放浪詩人、金笠(キムサッカ)

 

 昨年末、韓流歴史ドラマ「商道(サンド)」にはまってしまい、DVD 25巻を全部見てしまいました。内容はご存じの方も多いと思いますが、要するに李朝末期、林尚沃(イムサンオク)なる人物が裸一貫から身をおこし、中国との交易などによって、ついには朝鮮一の大富豪になるという話なのですが、恋あり、活劇ありで大変面白いのです。

 この物語の中で、林尚沃の出世の最初の転機となる場面で呉偉業の詩が大変重要な役割を果たします。この詩が何という詩なのかは今のところ解りません。

 もう一つ、この物語の最終場面で、老境に達した林尚沃が若い放浪詩人・金笠(キムサッカ)と遭遇します。金笠のことはよく知らなかったのですが、調べてみると「東洋文庫」から詩集が出ていました。

 早速手に入れて、いまボチボチと読んでいるところです。

 金笠(1807-1863)は名門の両班(貴族階級)の家に生まれますが、5歳の時地方長官だった祖父が「洪景来の乱」のとばっちりを受けて刑死し、一族は「滅門廃族」と言う厳しい処分を受けます。金笠は小さいときから大変な秀才でしたが、20歳の時そういう事実を知らずに育ち、不名誉な死に方をした祖父を、祖父とも知らず、誹謗した詩を作って大変賞賛されます。後にそれが実の祖父であることを知って大変ショックを受け、それが後の生涯を行乞と放浪の生涯へと向かわせたようです。実は「洪景来の乱」も「商道」では大変重要なテーマとなっているのですが、興味のある方はDVDを見てください。

今月はその詩集から最初の方の詩をいくつか紹介いたします。

 

 

風俗薄

 

斜陽鼓立両柴門  斜陽 鼓して立つ 両柴門

三被主人手却揮  三たび 主人に手を却揮さる

杜宇亦知風俗薄  杜宇 亦知る 風俗の薄きを

隔林啼送不如帰  林を隔てて 啼き送る 帰るに如(し)かずと

 

夕暮れになって、宿を乞おうと両開きの門に立ってたたくと、主人が出てきて三度も手を振って追っ払う。

ホトトギスもまた人情の薄いことをよく知っていて、林の向うから「不如帰、不如帰(帰った方がいいよ)」と啼いてよこす。

 

 

無題

 

四脚松盤粥一器  四脚の松盤 粥一器

天光雲影共徘徊  天光 雲影 共に徘徊す

主人莫道無顔色  主人 道(い)う莫れ 顔色無しと

吾愛青山倒水来  吾は愛す 青山の水に倒れて来るを

 

四つ足の松で作られたお膳、その上にはお粥の入った碗、(粥が薄いので)表面には日の光と雲の影が映って行ったり来たり。

ご主人よ、どうか粥が薄いので恥ずかしいなどをは云わないで下さい。私は水に逆さまに映った青山が好きなのですよ。

 

 

見乞人屍(乞人の屍を見る) 

 

不知汝姓不識名  汝の姓を知らず 名を識らず

何処青山子故郷  何れの処の青山か 子の故郷なる

蠅侵腐肉喧朝日  蠅は腐肉を侵して 朝日に喧びすしく

烏喚孤魂弔夕陽  烏は孤魂を喚びて 夕陽に弔う

一尺短身後物  一尺の短 身後の物

数升残米乞時糧  数升の残米 乞時の糧

寄語前村諸子輩  語を寄す 前村の諸子輩

携来一簣掩風霜  一簣を携え来りて 風霜を掩えと

 

おまえの姓も知らず名も知らない。一体どこの青山がお前の故郷なのか?

蠅が腐乱した屍に群がって朝日にブンブン飛んでいるし、カラスが身寄りのない魂を呼んで夕陽の中で弔っている。

一尺の短い竹の杖だけが形見として残り、数升の散らばった米は乞食をしていたときの糧だろう。

前の村の皆さんに一言お願いしたい。どうか一かごの土を運んできて、風霜から守ってあげてやってください。

 

 

自嘆

 

九万長天挙頭難  九万の長天 頭を挙ぐるに難く

三千地闊未足宣  三千の地闊(ひろ)きも 未だ足宣(ゆるや)かならず

五更登楼非翫月  五更 楼に登るは 月を翫(もてあそ)ぶに非ず

三朝辟穀不求仙  三朝の辟穀(へきこく) 仙を求めず

 

高さ九万里の天でも頭を上げることは難しく、三千里の広さの地でも足を伸ばすのに窮屈だ。

明け方近く、高殿に登るのは別に月を愛でようというのではない(ねぐらを求めて)。三日も辟穀(穀物を避ける:道教の養生法)しているのは、仙人になろうとしているのではない。

参考図書

 金笠詩選 崔碩義編訳注 東洋文庫 平凡社


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