2019年03月

梁川星巌
梁川星巌(1789-1858)は美濃大垣の出身。女流詩人であった妻・紅蘭と共に全国を遊歴しながら、全国の漢詩人に影響を与えた。また、幕末の尊皇攘夷の志士の精神的バックボーンとなり、安政の大獄では逮捕必至であったがその直前に急死した。

三月廿八日、病癒赴子成招飲
 (三月二十八日、病癒えて子成の招飲に赴く)
星巌は山陽から京都に着いたところで病に伏し十日ほど療養した後、頼山陽の招きに応じて酒宴に赴く。

子規叫叫雨如絲  子規 叫叫 雨 糸の如く
客舎京城病起時  客舎 京城 病起の時
流水漾愁終到海  流水 愁を漾わせて 終に海に到り
風花為雪不還枝  風花 雪と為りて 枝に還らず
百年肝胆無人見  百年 肝胆 人の見る無く
近日頭顱有鏡知  近日 頭顱(とうろ) 鏡の知る有り
唯此平生茅季偉  唯だ此れ 平生の茅季偉(ぼうきい)
招吾燈下倒清卮  吾を招きて 燈下に清卮(せいし)を倒さしむ


ホトトギスの鳴き声が遠くから聞こえてきて、糸のように細やかな雨が降っている。京都の宿屋で丁度病気から起き上がったばかりだ。
川の流れは愁いを漂わせながら海へと流れて行き、風に舞う花は雪のようでもう枝に帰ることはない。
一生、私の心のうちを知る人はなく、近ごろは頭のてっぺんが薄くなってきたのを鏡が知るばかりだ。
ただ、茅季偉のような君だけがいつものように私を招いて、燈火のもと、美酒の杯を傾けさせてくれる。

*茅季偉:後漢の茅容。親孝行で有名。友人が訪ねてきて泊まったとき、朝、鶏をつぶしてご馳走を作っているのを見て、友人はてっきり自分のために作ってくれていると思ったが、ご馳走は母にだけ出して、茅容と友人は粗末な野菜料理だけを食べた。頼山陽が母に孝養を尽くしていたことから、茅容にたとえた。

二月晦日、拉都寧父諸子遊糸崎、海上有大小鷺洲
 (二月晦日、都寧父諸子を拉して糸崎に遊ぶ、海上に大小鷺洲有り)
文政七年二月、広島県三原の諸友と糸崎に遊んだときの作。鷺洲とは佐木島、小佐木島のこと。

詩酒還成半日遊  詩酒 還た半日の遊びを成す
此生随処送悠悠  此の生 随処に 悠悠を送る
他年夢裏問陳迹  他年 夢裏 陳迹(ちんせき)を問わば
細雨春帆双鷺洲  細雨 春帆 双鷺洲


今日もまた詩と酒を楽しむ半日の遊びを行った。我が人生は到るところで悠悠とした日を送っている。
いずれの日か、夢の中で昔たどった跡を訪ねるとしたら、それは春雨の中、舟でたどった二つの島ということだろう。

路傍残菊
雨沐烟披尚未莎  雨に沐し 烟に披いて 尚お未だ莎(もみしだか)れず
一叢寒影傍籬笆  一叢の寒影 籬笆(まがき)に傍う
咨嗟立久休相訝  咨嗟(しさ)して 立つこと久しきも 相訝(いぶ)かるを休(や)めよ
我亦人間寂寞花  我も亦 人間(じんかん) 寂寞の花


参考図書
 日本漢詩人選集 梁川星巌 山本和義・福島理子著 研文出版春の訪れ