2019年05月

幼児を喪った嘆き
 
今月は幼児をなくした親の嘆きを詠った詩を紹介します。

孟郊 「杏殤 九首」 
花乳也。霜翦而落,因悲昔嬰,故作是詩。

 
杏殤とは花の乳児である。霜がこれを切り落としてしまった。昔幼児を亡くしたのを悲しんでこの詩を作った。
 孟郊については、既に紹介しています(2008,11)

其一
凍手莫弄珠, 凍手 珠を弄する莫れ
弄珠珠易飛。 珠を弄すれば 珠飛び易し
驚霜莫翦春, 驚霜 春を翦(き)る莫れ
翦春無光輝。 春を翦れば 光輝無し
零落小花乳, 零落す 小花乳
斕斑昔嬰衣。 斕斑たり 昔嬰の衣
拾之不盈把, 之を拾うも 把に盈たず
日暮空悲歸。 日暮 空しく悲しみて歸る


凍えた手で珠をもてあそぶでない。珠が飛び散ってしまう。
突然の霜よ、春の芽生えを切ってしまわないでくれ。春の輝きがなくなるだろう。
散り落ちてしまった小さな花のつぼみ、キラキラと散らばって死んだ幼児の産着のようだ。
花のつぼみを拾い取ろうとするが、手のひらに満たすことが出来ない。日が暮れて空しく悲しんで帰って行く。

白居易 「病中哭金鑾子」

 
白居易は40歳の時、3歳の娘を亡くします。その悲しみを詠った詩です。

豈料吾方病,  豈に料らんや 吾方に病むに
翻悲汝不全。  翻って汝の全たからざるを悲まんとは
臥驚從枕上,  臥して驚くは 枕上よりし
扶哭就燈前。  扶けられて哭し 燈前に就く
有女誠爲累,  女有るは 誠に累(わずらい)と爲すも
無兒豈免憐。  兒無きは 豈に憐みを免れんや
病來纔十日,  病來って 纔か十日
養得已三年。  養い得たるは 已に三年
慈涙隨聲迸,  慈涙 聲に隨いて迸(ほとばし)り
悲傷遇物牽。  悲傷 物に遇いて牽かる
故衣猶架上,  故衣 猶お 架上
殘藥尚頭邊。  殘藥 尚お 頭邊
送出深村巷,  送り出す 深村巷
看封小墓田。  小さき墓田に封ぜらるを看る
莫言三里地,  言う莫れ 三里の地と
此別是終天。  此の別れは 是れ終天

私が病気の時に、逆にお前が死んでしまうなんてどうして予想が出来たろうか。
聞いて驚いたときは病床にあったとき、助けられて灯明の前に行き嘆き声を上げる。
娘を持つのは煩わしいというけれど、子どものないのは憐れなものだ。
病気になって僅か十日、今まで三年も養ってきたのに。
慈愛の涙は哭声と共にほとばしり、この子の遺品を見るたびに悲しみが起こる。
着物はまだ衣桁にかかっており、飲み残しの薬は枕元に残っている。
遺体は村の奥深いところから送り出し、小さな墓地に葬られるのを見る。
家からたった三里しか離れていないなどと言うでない、この別れは永遠のものなのだ。


蘇軾 「去歲九月二十七日在黃州生子名遁小名乾兒頎然穎異至今年七月二十八日病亡於金陵作二詩哭之」

(去歲九月二十七日、黃州に在りて子を生む。名は遁、小名は乾兒なり。頎然穎異たり。今年七月二十八日に至り金陵に於て病亡せり。二詩を作りて之を哭す)

其一
吾年四十九,  吾が年 四十九
羈旅失幼子。  羈旅に幼子を失う
幼子真吾兒,  幼子 真に吾が兒なり
眉角生已似。  眉角 生れて已に似たり
未期觀所好,  未だ期ならずして 好む所を観るに
蹁躚逐書史。  蹁躚(へんせん)して 書史を逐(お)う
搖頭卻梨栗,  頭を搖らして 梨栗を卻(しりぞ)く
似識非分恥。  分に非らざるの恥を識るに似たり
吾老常鮮歡,  吾 老いて 常に歓び鮮(すく)なし
賴此一笑喜。  此に賴りて 一に笑喜す
忽然遭奪去,  忽然として 奪去に遭う
惡業我累爾。  惡業 我 爾(なんじ)を累(わずら)わせしか
衣薪那免俗,  衣薪 那(なん)ぞ 俗を免れんや
變滅須臾耳。  変滅は 須臾のみ
歸來懷抱空,  帰來して 懐に空を抱く
老淚如瀉水。  老淚 水を瀉ぐが如し

私もう49歳、旅の途中で幼児を失った。
この子は本当に我が子だった。生まれたときから眉の辺りが私とソックリだった。
一歳になると目の前にいろんなものを並べて何を取るかでその子の将来を決める風習があるが、この子は一歳になる前にヨロヨロしながら書物を追っかけ、頭を振って梨や栗などの食べ物を退けた。自分の本分でないものを選ぶ恥を知っているかのようだ。
私は老いてもう喜びなどは少ないが、この子がいればいつも笑いや喜びが絶えない。
それが突然奪われてしまった。私の悪業がお前に災いをもたらしたのだろう。
風習に従って幼児が死んだときは遺体を小枝で覆うという簡単な葬式だが、どんな葬儀をしようと土に帰るのは同じく一瞬のことだ。
葬式から帰ってきて、もう懐に抱くものはない。老いの涙は水が流れ出るようだ。