2019年07月

葛子琴
 江戸後期、江戸では市河寛斎が江湖詩社を立ち上げ、漢詩に新風を吹き込みましたが、同じ頃、大阪でも片山北海が混沌詩社を作り、宋代の詩風による作詩を進めました。そこに集ったのが葛子琴、頼春水、篠崎三嶋などでした。
 葛子琴は大阪の代々続く医家の生まれで、博覧強記で天性の詩人と仲間から評されていた。菅茶山はその詩の中で温庭筠に比している。また、高芙蓉に学んで篆刻においても一家を為した。ただ、46歳で亡くなったため、活躍の期間が短かったことが惜しまれる。
 以下に紹介する詩は、「浪華混沌詩社集」という影印本から取ったもので、読み下し、解釈に誤りがある恐れがありますが、ご容赦を。

歳暮偶書

養病安貧一畝宮  病を養い 貧に安んず 一畝の宮(いえ)
任他年余世途窮  任他(さもあらばあれ) 年余 世途窮するを
詩詞驚俗竟無益  詩詞 俗を驚かすも 竟に益無し
薬石為医較有功  薬石 医を為して 較(やや)功有り
異日成丹須試犬  異日 丹を成(つく)らば 須(すべから)く犬に試むべし
多時篆刻且彫蟲  多時 篆刻し 且つ彫虫す
無人更識予初志  人の更に予が初志を識る無く
独倚江楼念御風  独り江楼に倚(よ)りて 風を御せんと念ず


病気持ちで貧乏暮らしの小さな家。年来、世渡りの道が行き詰まっているのも仕方がない。
詩を作って人々に驚嘆されても世のためにはならず、医業をやっているのが少し世間に貢献しているだろうか。
何時の日か仙薬を作ってまず犬で試してみたいものだ。いままでは、こせこせと篆刻をしたり詩を作ったりしてきた。
私の志は全く人に知られてはおらず、独りで川辺の楼によりかかって、列子のように風に乗って自由に飛んでみたいと思う。
彫蟲篆刻:文章を作るのに字句を美しく飾りたてるという熟語ですが、彼の場合は篆刻の専門家ですから、それもかけているのでしょう。


頼千秋東遊帰後見過喜而賦  (頼千秋 東遊より帰りし後 過ぎらるを喜びて賦す)

遠遊帰到意如何  遠遊より帰り到れば 意如何
江上秋風起素波  江上の秋風 素波を起す
同社琴書皆故態  同社の琴書 皆故態
異郷山水独新歌  異郷の山水 独り新歌
久拌興趣披雲発  久拌(伴?)の興趣 雲を披(ひら)きて発し
暫別情懐対月多  暫別の情懐 月に対して多し
鱸膾待君将下筋  鱸膾 君を待ちて 将に筋を下さんとす
西湾昨夜一漁蓑  西湾 昨夜 一漁蓑(ぎょさ)

遠くの旅から帰ってきた感想は如何ですか。もう淀川には秋風が吹いて白波が立っていますよ。
詩社仲間の風流な遊びは以前のままです。貴方が見てきた異郷の山水の詩だけが新しいのです。
旧友たちの遊びは雲が開けたように始まり、暫く別れていた思いは明月を見るように深く多いのです。
スズキのなますを料理しようと君を待っていたのです。このスズキは昨夜西の湾で漁師の蓑を着けて自分で獲ってきたのですよ。

頼千秋:頼春水(頼山陽の父)のこと。春水は盛年期に大阪で儒者、詩人として活躍しました。彼に松島を詠った有名な詩がありますのでこの時東北まで旅したのでしょう。



偕礼卿飲南禅寺前旗亭 (礼卿と偕に南禅寺前の旗亭に飲む)

南禅寺畔暫相従  南禅寺畔 暫く相従い
茅店呼醪菽乳濃  茅店 醪(ろう)を呼べば 菽乳(しゅくにゅう)濃し
裊裊帰雲雲母坂  裊裊(じょうじょう)たる帰雲 雲母(きらら)坂
沈沈斜日日枝峯  沈沈たる斜日 日枝(ひえ)の峯

南禅寺の傍らをしばらく一緒に歩いて、茅葺きの店で酒を取れば湯豆腐が濃厚だ。
ゆらゆらと山に帰る雲が雲母坂(比叡山に登る道)にかかり、静かに沈み行く夕陽が比叡の峰を照らしている。

礼卿:菅茶山



野墅宮

陰森竹裡路逶迤  陰森たる竹裡 路逶迤(いい)たり
何処柴荊結作籬  何れの処か 柴荊 結びて籬を作る
満地青苔人跡絶  満地の青苔 人跡絶え
秋烟深鎖一叢祠  秋烟 深く鎖す 一叢祠

鬱蒼とした竹藪の中、道は曲がりくねって続いている。何処まで来たのか、柴や荊を結んで間垣を作っている。
青苔が地上一杯に覆って、人の足跡はない。秋の靄が深く籠もった中に一叢の社(野々宮)が見える。