2019年08月
郊寒島痩
李白・杜甫などの活躍した盛唐の後、中唐と呼ばれる時代となります。この時代の代表的な詩人と云えば韓愈と白居易でしょう。韓愈は親分肌の詩人だったらしく、多くの詩人の面倒をみて慕われます。その中に孟郊と賈島がいます。その詩風が特異で後に蘇軾から郊寒島痩と評されます。その意味は孟郊の詩は明るさや希望がなく冷え冷えしていて、賈島の詩は飾り気や遊びがなく、潤いに乏しいといったところでしょうか。
二人とも官職には恵まれず、貧窮の中で死んだと伝えられる。又共に苦吟の詩人として知られている。
孟郊
孟郊の「遊子吟」(2008.11)は既に紹介済みです。
烈女操
琴曲の題、女性の貞節の悲しさを詠う
梧桐相待老, 梧桐 相待ちて老い
鴛鴦會雙死。 鴛鴦(えんおう) 会(かなら)ず双(なら)びて死す
貞女貴殉夫, 貞女は夫に殉ずるを貴ぶ
捨生亦如此。 生を捨つるも亦此の如し
波瀾誓不起, 波瀾 誓って起らず
妾心古井水。 妾が心は 古井の水
あおぎりは二本並んで老い、おしどりは二羽一緒に死ぬという。
貞節な女が夫に殉じて死ぬのもこれと同じこと
波風は決して立てない。私の心は古い井戸の水のように澄み切っている。
燭蛾
燈前雙舞蛾, 燈前 双舞の蛾
厭生何太切。 生を厭うこと何ぞ太(はなは)だ切なる
想爾飛來心, 爾(なんじ)の飛來する心を想うに
惡明不惡滅。 明を惡みて滅するを惡まざるならん
天若百尺高, 天若(も)し 百尺の高さなるも
應去掩明月。 応(まさ)に去(ゆ)きて 明月を掩うならん
灯火のまえでならんで舞う蛾よ。どうしてそんなに死に急ぎをするのか。
お前が飛んでくる気持ちを察するに、きっと明るさを憎んで火を消そうと死を恐れずに飛び込んでくるのだろう。
空が百尺の高さであるとしても、きっと飛んでいって名月を覆ってしまおうとするだろう。
賈島
推敲の故事で知られている。
病蟬
病蟬飛不得, 病蝉 飛ぶことを得ず
向我掌中行。 我が掌中に向(お)いて行く
拆翼猶能薄, 拆翼(たくよく) 猶お能く薄(おお)い
酸吟尚極清。 酸吟 尚お清を極む
露華凝在腹, 露華 凝りて腹に在り
塵點誤侵睛。 塵点 誤りて睛(ひとみ)を侵す
黃雀幷鳶鳥, 黃雀 幷びに鳶鳥
俱懷害爾情。 俱に爾(なんじ)を害せんとの情を懷く
弱って死にかけた蝉はもう飛ぶことは出来ず、私の手のひらで動いている。
破れかけた羽はまだ体を覆っており、悲しげな鳴き声は澄み切っている。
露の玉が腹についていて、塵のような点が眸を傷つけている。
雀や鳶たちがお前を殺そうと狙っている。
高潔の象徴である蝉に自分をなぞらえて、俗悪な輩に狙われているとの寓意があるのかも知れません。
度桑乾 (桑乾を度る)
客舍幷州已十霜, 幷州(へいしゅう)に客舍して已に十霜
歸心日夜憶咸陽。 歸心 日夜 咸陽を憶う
無端更渡桑乾水, 端無くも更に渡る 桑乾の水
卻望幷州是故鄉。 卻って幷州を望めば 是れ故鄉
桑乾河:山西省から北京の辺りを経て渤海湾に注ぐ
幷州:桑乾河の南にある北部辺境の町、今の太原辺りか
芭蕉にこの詩を借用した「秋十とせ 却って江戸を指す古郷」の句がある。
参考図書
漢詩を読む ③ 宇野直人、江原正士著 平凡社
唐詩三百首 蘅塘退士編、 目加田誠訳注 東洋文庫