2019年12月
陸游と范成大
南宋の四大詩人、陸游(1125~1210)、范成大(1126~93)、楊万里(1127~1206)、尤袤(1127~94)はほぼ同じ年齢で、お互いに敬意を以て付き合っていたと云われる。官僚として出世したのは范成大、尤袤、楊万里、陸游の順でしょうか。
陸游と范成大の間の唱和の詩から二人の交友を見てみましょう。
范成大は四川制置使(軍事長官)となった時、陸游を幕下に参議官として招きます。陸游の不遇を憐れんで、詩友として援助しようとしたのでしょう。ただ陸游は頑固な金国打倒論者でした。赴任にあたっても軍事に関与する何らかの仕事が与えられると期待していたでしょうから、失意の毎日だったでしょう。それはこの時期の陸游の詩からも窺えます。
范成大 新涼夜坐
吏退焚香百慮空, 吏退き 香を焚けば 百慮空し
靜聞蟲響度簾櫳。 靜かに虫響の簾櫳(れんろう)を度るを聞く
江頭一尺稻花雨, 江頭 一尺 稻花の雨
窗外三更蕉葉風。 窓外 三更 蕉葉の風
日日老添明鏡裏, 日日 老は添う 明鏡の裏
家家涼入短檠中。 家家 涼は入る 短檠(たんけい)の中
簡編燈火平生事, 簡編 燈火 平生の事
雪白眵昏奈此翁。 雪白 眵昏(しこん) 此の翁を奈(いかん)せんや
下役人が退出して、香を焚くといろんな考え事は忘れてしまう。静かに虫の声がすだれ窓を通して聞こえてくるのを聴く。
川のほとりでは一尺ばかりに伸びた稲がつけた花に雨が降り注ぎ、深夜の窓の外には芭蕉の葉を鳴らして風が吹き抜ける。
一日一日と鏡のうちでは私の顔に老いが深まってゆき、家々では燭台のあたりに涼しさが忍び寄る。
燈火の下で書物を読むのは日常の事だ。しかし、どうしたものだ、此の爺の白髪、目やに、かすみ眼は。
陸游 和范待制 秋興三首 其一
范成大の前詩の韻(空、櫳、風、中、翁)を用いた次韻の詩。
策策桐飄已半空 策策として桐は飄り 已に半ば空し
啼螿漸覚近房櫳 啼螿 漸く覚ゆ 房櫳に近きを
一生不作牛衣泣 一生 作さず 牛衣の泣
万事従渠馬耳風 万事 従渠(さもあらばあれ) 馬耳の風
名姓已甘黄紙外 名姓 已に黄紙の外なるに甘んじ
光陰全付緑尊中 光陰 全て緑尊の中に付す
門前剥啄誰相覓 門前の剥啄 誰か相覓む
賀我今年号放翁 賀すならん 我の今年放翁と号せるを
さらさらと桐の葉が翻りもう半ばは散ってしまった。ヒグラシの鳴き声が部屋の窓の近くで鳴いているのに気づく。
私は漢の王章が貧乏で牛に着せる襤褸を被って泣いたような惨めな真似はするまい。 万事、馬耳東風と成り行きに任せるまで。
私の姓名が辞令の黄色い紙に書き込まれることはもうないだろうが文句はないし、これからの月日は酒樽の中にあるのだ。
門前でだれかコツコツと門を叩いているようだ。きっと私が今年から放翁(放縦無頼の翁)と名乗るようになったのを祝いに来たのだろう。
その翌年六月、范成大は任を終えて都へ帰ります。彼の紀行「呉船録」によると、大勢の人が成都から十日かけて100キロ以上離れた眉州まで見送りに付いて来ます。陸游は前年、官を離れ恩給生活に入っていましたが、やはり見送りに行きました。
陸游 小憩長生觀飯已遂行(長生觀に小憩し 飯 已(や)みて遂に行く)
次の詩「登上清小閣」から、山を下りたところにある道教寺院で休んだのであろう。
新津渡頭舩欲開 新津渡頭 船 開かんと欲す
山亭凖擬把離盃 山亭 凖擬す 離盃を把るを
不如意事十八九 不如意の事 十に八九
正用此時風雨來 正に此の時を用(も)って 風雨來る
新津の船着き場で船の準備が出来た。山宿で別れの杯をとる用意をする。
しかし、世の中の事、十中八、九は上手くいかないものだ。丁度この時、雨風が吹いてきた。
陸游 登上清小閣(上清の小閣に登る)
范成大と見送りの一行は別れの前に物見遊山をしている。この詩は成都の北西、青城山という道教の聖地に参詣し、山の上の上清宮に登った時の詩と思われる。
楼觀參差倚晚晴 楼観 参差 晚晴に倚る
偶然信脚得閒行 偶然 脚に信せて 閒行するを得たり
欲求靈藥換凡骨 霊薬を求めて 凡骨を換えんと欲せば
先挽天河洗俗情 先ず 天河を挽きて 俗情を洗え
雲作玉峰時特起 雲は玉峰と作りて 時に特起し
山如翠浪盡東傾 山は翠浪の如く 盡く東に傾く
何因從此横空去 何に因りて 此れ従り 空に横たわりて去らん
笙鶴飄然過洛城 笙鶴 飄然 洛城を過ぐ
楼台がいくつも不揃いに夕暮れの晴れた空に浮かんでいる。たまたま足に任せて此処までやって来ることが出来た。
霊薬を求めてこの凡骨を仙人の身に換えようと欲するなら、まず天の川の水で俗な心を洗い清めなければならぬ。
ここから眺めると、雲が玉の峯のようにモクモクとして、時には急に盛り上がる.。山々は緑の波のようで、みんな東へと傾いている。
どうにかしてここから空を飛んで行くことが出来たらいいのに。仙人の乗った鶴が飄然と都に向かって飛んで行く。
范成大 次韻陸務観慈姥岩酌別二首 ( 陸務観の慈姥岩酌別に次韻す二首)
陸游の剣南詩稿に「慈姥岩酌別」という題の詩は載せられていない。上に挙げた二詩は范成大の送別に同行した時のものと考えられ、しかも次の范成大の詩はこれらとよく似た韻を使っている。全く同じ韻を使ってはいないので次韻とは言いがたいが、あるいは「慈姥岩酌別」はこれらの詩を指しているのかも知れない。
其一
送我弥旬未忍回 我を送りて 弥旬(びじゅん) 未だ回(かえ)るに忍びず
可憐蕭索把離盃 憐れむ可し 蕭索として 離盃を把るを
不辞更宿中岩下 辞せず 更に宿る 中岩の下
投老余年豈再来 投老 余年 豈 再び来らんや
君は私の送別のため丁度十日間、一緒に付いてきてくれたがまだ帰るには忍びないようだ。寂しげに別れの杯をとる様子はまことに憐れだ。
この中岩のもとでもう一泊してもいいのだよ。これから歳を取ってくるのだからこのあとどうして再びここに来ることが出来ようか。
其二
明朝真是送人行 明朝 真に是れ 送人行く
従此関山隔故情 此れ従り 関山 故情を隔つ
道義不磨双鯉在 道義 磨(ほろ)びざれば 双鯉在り
蜀江流水貫呉城 蜀江の流水 呉城を貫く
明朝、送ってくれる私は本当に出発する。ここからはうち重なる山々が我々の友情を隔てるのだ。
しかし、お互いに思い合う心が廃れてしまわない限り手紙というものがあるではないか。この蜀から流れ出る長江の水は下流の呉の町を貫いているのだよ。
参考図書
劎南詩槀 (四庫全書本) インターネット
范成大詩選 周汝昌選注 人民文学出版社
記録文学集 呉船録 范成大著 小川環樹訳 中国古典文学大系 平凡社