2020年02月
高啓
高啓(高青邱)の詩は何度か紹介していますが、元の末期に蘇州に生まれ、戦乱の時代を経て30歳頃に明の時代となります。この頃已に文名が高かった高啓は朝廷に召されて、元史の編集に携わります。その後、一時官僚としても昇進しますが、猜疑深い太祖との関係を恐れてか、辞任して蘇州に引きこもります。しかし、39歳の時、謀反に荷担したとの疑いで処刑されます。
高啓は詩が低調だった明代で第一の詩人として評価され、日本でも大変人気の高い詩人でした。中でも「青邱子歌」は森鴎外の翻訳で有名です。
出郭舟行避雨樹下 郭を出でて舟行し 雨を樹下に避く
一片春雲雨満川 一片の春雲 雨は川に満つ
漁蓑欲借苦無縁 漁蓑(ぎょさ) 借りんと欲するも 縁無きに苦しむ
多情水廟門前樹 多情なり 水廟 門前の樹
遮我孤舟半日眠 我が孤舟を遮(かく)して 半日眠らしむ
ひとひらの春の雲が川一杯に雨を降らし、漁師の蓑を借りたいと思うが寄る辺がない。
情け深いのは水神様の門前の樹だ。私の小舟を雨宿りさせ、半日の昼寝をさせてくれた。
出郊抵東屯五首 其一
郊に出で東屯に抵る 五首 其の一
故郷一区田 故郷 一区の田
自我先人遺 我が先人自り遺(のこ)さる
頼此容我懶 此に頼りて 我が懶は容(ゆる)され
不耕坐待炊 耕やさずして 坐(い)ながらに炊ぐを待つ
霜露被寒野 霜露 寒野を被い
属当斂穫時 属(たまた)ま 穫(とりいれ)を斂む時に当る
言来徴薄入 言(ここ)に来りて 薄入を徴し
税駕宿東陂 駕を税(と)きて 東陂に宿る
今年雖未豊 今年 未だ豊かならずと雖も
亦足療我飢 亦た我が飢を療(いや)すに足る
万鍾知難称 万鍾 称(かな)い難きを知れば
保此復何辞 此れを保つを 復た何ぞ辞せんや
故郷の一区画の田圃。ご先祖が遺してくれたものだ。
此のお陰で私は怠けていることが出来、耕さなくても居ながらにご飯の炊けるのを待っていられる。
霜や露が寒い野を覆い、丁度取り入れ時だ。
そこでここにやって来て地主として僅かばかりの上がりを徴収しようと、馬車の馬を外して東の村に泊まった。
今年はあまり豊作ではないが、それでも私の飢えを満たすことは出来る。
官僚となって万石の禄を得ることは出来もすまいが、この土地を大事にして文句を言うこともあるまい。
客中憶二女 客中 二女を憶う
毎憶門前両候帰 毎に憶う 門前に両(ふた)りながら 帰るを候(ま)ちしを
客中長夜夢魂飛 客中 長夜 夢魂飛ぶ
料応此際猶依母 料るに 応に此の際 猶お母に依りて
灯火看縫寄我衣 灯火 我に寄するの衣を縫うを看るなるべし
門前で二人で私の帰ってくるのを待ってくれていたのをいつも思い出す。旅の長夜、夢の中、魂は故郷へと飛んで行く。
思うに丁度今頃はまだ母にくっついて、灯火の下私に送る着物を縫っているのを見ているに違いない。
参考図書
中国詩人選集二集 高啓 入谷仙介注 岩波書店