2020年04月

石川丈山
 江戸初期を代表する詩人を挙げるとすればまず石川丈山でしょう。
 江戸時代の漢詩人といえばほとんどが儒学者でしたが、丈山は徳川譜代の名家の出で、武人としての名が高かった人でした。大阪夏の陣で武功を挙げますが、抜け駆けの罪を問われて禄を離れ浪人の身となりますが、後に広島浅野家に二千石で召し抱えられます。この禄高は儒者などの文人が与えられるものではありませんから、よほど丈山の武名が高かったのでしょう。54歳で浅野家を致仕し、京都へ移住すします。その後、90歳まで京で詩作に専念し悠悠自適の生活を送ります。
 丈山の詩といえば、私は今回冒頭に挙げた「富士山」しか知らず、あまり評価していなかったのですが、今回選集を一読して認識を改めました。ただ、それぞれ見事な詩だと思うのですが、同工異曲というか皆似たような内容で全体としてみると面白みに欠ける気がしました。これは丈山が詩を作った晩年は京都に独居していたためだと思われます。

富士山

仙客来遊雲外巓  仙客 来りて遊ぶ 雲外の巓
神龍栖老洞中淵  神龍 栖み老(あ)らす 洞中の淵
雪如紈素煙如柄  雪は紈素(がんそ)の如く 煙は柄の如し
白扇倒懸東海天  白扇 倒に懸る 東海の天

紈素:白絹

丈山の詩でもっとも人口に膾炙されたものである。40歳頃の作と考えられ、現存の詩の中では初期のもの。 


偶成

昔攀青幕仕  昔 青幕を攀じて仕え
今伴白雲遊  今 白雲に伴いて遊ぶ
花謝山猶静  花は謝して 山猶お静かに
笋生露自流  笋生じて 露自ずから流る
蓮池飛水馬  蓮池 水馬飛び
苔壁落天牛  苔壁 天牛落つ
風物雖無意  風物 意無しと雖ども
適然従独幽  適然として 独幽に従う


若い頃は出世しようと仕官したものだが、今は白雲たなびく山中に遊んでいる。
花はもう散って山はすっかり静かになり、筍が生えてきて露に濡れている。
蓮池にはアメンボが飛ぶように走り、苔の生えた壁からカミキリムシがぽたりと落ちる。
天地の間の風物には意図があるわけではないが、それぞれが自分の意にかなってこの隠栖の伴侶となっている。


春望

春暖乾坤濶  春暖 乾坤濶(ひろ)く
登臨坐翠微  登臨して 翠微に坐す
松声醒鹿夢  松声 鹿夢を醒まし
柳色染鶯衣  柳色 鶯衣を染む
家犬先人往  家犬 人に先だちて往き
老鴉後友飛  老鴉 友に後れて飛ぶ
養真過七秩  真を養いて 七秩を過ぐ
閑趣亦応稀  閑趣 亦た応に稀なるべし


うららかな春、天地は広々としている。山に登ってきて、頂き近くの深い緑の中に坐る。
松風の声が鹿の眠りを覚まし、柳の色が鶯の羽を染めているかのよう。
飼い犬が私に先立って走り、年老いたカラスは群れに後れて飛んでいる。
人間本来のあり方を求めているうちに七十(古稀)を過ぎてしまった。この閑雅な趣もまた古来稀なるものと云えよう。


倚筇(いきょう)吟

倚筇藪里辺  筇(つえ)に倚(よ)る 藪里の辺
社樹聳森然  社樹 聳えて 森然たり
犬吠乞児後  犬は吠ゆ 乞児(きつじ)の後
牛耕農夫前  牛は耕やす 農夫の前
生涯寒澗水  生涯 寒澗の水
老病夕陽天  老病 夕陽の天
偏極煙霞楽  偏えに 煙霞に楽しみを極め
百齢少十年  百齢に少(か)くこと 十年なり


杖をついて藪里村(やぶさとむら)のほとりに佇む。神社の樹木が聳えて深深としている。
犬が乞食の後から吠え、牛は農夫の前で犂を牽いている。
我が生涯は寒々とした小川の水のように細細と人知れず続いた。そして老いた病の身は沈んでゆく夕陽のようである。
偏に山水の楽しみを極め尽くして、百に十年足らない九十歳まで生きてきた。

参考図書
 江戸詩人選集 第一巻 石川丈山・元政 上野洋三注 岩波書店