2020年05月

黄庭堅 詩の書
 黃庭堅は北宋にあって、蘇軾に次ぐ名声を得た大詩人ですが、難解な詩が多いので小生は苦手としています。一方、書の方でも北宋四大書家として蘇軾、米芾、蔡襄と肩を並べています。
 昨年末、台湾環島サイクリングに行った時、故宮博物院のミュージアムショップで黃庭堅の書のプリントに惹かれて大枚をはたいて買い込んできました。それが今回紹介した二首目のものです。詩としての題は正確ではないかも知れませんが、書としては「花気薫人帖」と呼ばれています。現在、額に入れて飾り毎日眺めて悦に入っております。
 一首目の方も故宮博物院の至宝の一つで黃庭堅の書としての代表作と評されているものです。数年前、半年かけて臨書し先生になかなかよく書けるようになったと誉められた思い出深い書です。

武昌松風閣(松風閣詩巻)

依山築閣見平川  山に依り閣を築きて平川を見る
夜闌箕斗挿屋椽  夜闌(たけなわ)にして 箕斗 屋椽に挿す
我来名之意適然  我来り 之に名づけて 意適然たり
老松魁梧数百年  老松の魁梧たる 数百年
斧斤所赦今参天  斧斤の赦す所となり 今天に参(まじ)わる
風鳴媧皇五十絃  風に鳴る 媧皇の五十絃
洗耳不須菩薩泉  耳を洗うに 須(もち)いず 菩薩泉
嘉二三子甚好賢  二三子の甚だ賢を好むを嘉す
力貧買酒酔此筵  貧を力(つと)めて酒を買い 此の筵に酔う
夜雨鳴廊到暁懸  夜雨 廊に鳴り 暁に到るまで懸る
相看不帰臥僧氈  相看て帰らず 僧の氈(せん)に臥す
泉枯石燥復潺湲  泉枯れ 石燥(かわ)くも 復た潺湲たり
山川光輝爲我妍  山川の光輝 我が為に妍たり
野僧旱飢不能饘  野僧 旱飢 饘(せん)する能わず
暁見寒谿有炊煙  暁に見る 寒谿 炊煙有るを
東坡道人已沈泉  東坡道人 已に泉に沈み
張侯何時到眼前  張侯 何れの時か 眼前に到らん
釣台驚濤可昼眠  釣台 濤に驚き 昼眠すべく
怡亭看篆蛟龍纏  怡亭 篆を看て 蛟龍纏(まと)う
安得此身脱拘攣  安くんぞ得ん 此の身 拘攣を脱し
舟載諸友長周旋  舟に諸友を載せて 長えに周旋するを


山に依って楼閣が築かれ下に長江の流れが見える。夜がふけると箕や斗の星座が軒端の垂木に突き刺さるようだ。私がここに来て松風閣と名付けたが、まさにピッタリだ。
老松の巨大なこと、数百年を経ているようだ。斧に斬られることを免れて、今や天とまじわる。
風が吹くと太古の女神の奏でる五十絃の琴のように鳴り響き、その音に清められて菩薩泉で耳を洗う必要もない。
君たちが先輩をもてなす気持ちを有難く思い、貧しいながら酒を買い求めてきたのでこの宴で酔わせて頂く。
夜の雨が回廊に鳴り明け方までつづく。皆で帰るのをやめて、坊さんに毛布を借りて横たわる。
泉は涸れ石は乾いていたが、また水がサラサラと流れ、山川は光り輝き私のために美しくよそおう。
田舎坊主は日照りで満足に粥もすすれなく、明け方に「寒谿」の辺りで炊事の煙が上がるのを見るばかり。
しばしばこの地に遊んだ東坡道人(蘇軾)はもう去年死んでしまい、彼を慕っていた張侯(張耒)もこの地に流されてくるらしいが何時ここに現れるだろうか。
ここから見える長江の中の岩、「釣台」で波の音を聞きながら昼寝をしたいし、同じく「怡亭」岩では名高い龍が身をくねらせているような篆書を見たいものだ。
いったいどうすればこの世のしがらみから抜け出して、友人たちを船に乗せて長らく周遊出来るのだろうか。
この古詩は21連からなりますが、驚くことにすべて押韻がなされています。



絶句(花気薫人帖)

花気薫人欲破禅  花気 人に薫りて 禅を破らんと欲す
心情其実過中年  心情 其の実 中年を過ぐ
春来詩思何所似  春来 詩思 何に似たる所ぞ
八節灘頭上水船  八節灘頭 水を上る船


花を送ってきて詩を作れとのご要望ですが、
花の香りがこの身をつつんで、座禅している心を乱してしまいました。しかし花を見ての興趣も実は中年を過ぎてはあまり起こりません。
この花が春を送って来ましたが、詩心は何に似ていると云えましょうか。それは丁度八節灘の急流をヨタヨタと遡っている船のようで、すらすらと好い詩は出来ませんよ。



参考図書
黃庭堅 中国詩人選集二集 荒井健注 岩波書店